98歳のマエストロ、若さ溢れる至芸――ブロムシュッテトの『詩篇交響曲』と『讃歌』

ブロムシュテット98歳。その高齢で、はたしてスウェーデンからはるばる東京まで来てくれるのか? チケットを買ったものの、彼のコンサートが実現するのか、実は当日まで、半信半疑でいた。NHKホールに入場してからさえ、心の不安を拭い去ることはできなかった。過去に、いったい誰が、100歳に近い年齢でオーケストラを指揮したことがあったろうか。おそらく誰もがいだく不安は、彼が小さな車を押しながら、そろそろと舞台に登場したことで、やっと解消されたのだった。万雷の拍手を受けて聴衆に頭を下げたマエストロは、楽員の手を借りて指揮台に上り、椅子に腰を下ろした。

歴史的にも世界最高齢の指揮者の登場は、ただそれだけで「事件」である。しかし当日の出来事は、事件を遥かに超えたものであった。それは、老マエストロの奏でる音楽が、瑞々しい若さに溢れ、深々とした情感と力強い推進力に満ちていたからである。彼の指揮する両腕はしなやかに動き、的確な指示を楽員に送った。ご老体のどこから、あのようなエネルギーが溢れてくるのだろうか。

当日のプログラムにも、ブロムシュテットの並々ならぬ意欲が感じられる。ストラヴィンスキーとメンデルスゾーンの、ともに「詩篇」を素材にして神を賛美する宗教曲である。100年近くの時を隔てる2作品を並べることで、私たちは音楽そのものの変遷ばかりではなく、人間の心の変貌をも体感することとなった。今年はバイエルン放送管弦楽団とも同じプログラムで共演しているというし、この選曲は、おそらくブロムシュテット本人の手になるものにちがいない。

ふたつの作品の差異は際立っている。情感を消し去った作品と、それがたっぷりな作品である。続けて聴くことで、そのあまりの距離の遠さに目まいを覚える。そして、ロマン派の音楽を身近かに感じる自らの感性を発見する。それは、作曲者個人の信仰心と神とが、感情的に深く結びついているゆえなのか。ストラヴィンスキーの作品は、そんな情緒のあり方を拒絶する。不協和音と変則的なリズムは、そのままでは感情が受けつけない。ヴァイオリンとビオラを排したオーケストラの響きは、それを助長する。何よりも、詩が表現する信仰心そのものに、揺れがあるように感じられた。

それにしても、『讃歌』の、なんという美しさ。この曲は、第1部の交響曲部分と、第2部のカンタータ部分から成り立っている。その交響曲部分の第3楽章がとりわけ美しい。それは、夾雑物を濾過した、清澄極まりない美しさである。マエストロは、老いをまったく感じさせない腕の動きで、私たちを天の高みに導いてくれた。私の胸には、いまだにそのメロディが溢れている。

第2部カンタータでは、ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、合唱が、再構成された「詩篇」の言葉を歌う。私がとりわけ心惹かれたのは、第3曲のテノール独唱部分。それも伴奏の弦楽器の細やかな響きである。清冽な川の流れのさざ波のよう。ほとんど聴き逃してしまうような音の連なりなのだが、それが明瞭に耳に届くのだった。ブロムシュテット絶妙の棒さばきである。

最後は、冒頭のモティーフが回帰して、壮麗に幕が閉じられる。聴き終わって感じたこと。それは、メンデルスゾーンをほとんど視野に入れることなくクラシック音楽を聴いてきた自分を、恥じることだった。この怠慢に気づかせてくれたブロムシュテットには、大いなる感謝を捧げたい。来年の秋にはまた来日してブラームスを振るという。白寿のマエストロとの再会を楽しみに待ちたい。

2025年10月19日 於いてNHKホール

ストラヴィンスキー:詩篇交響曲
メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調Op.52《讃歌》

ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマー
メゾソプラノ:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト
テノール:ティルマン・リヒディ

指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
合唱:スウェーデン放送合唱団
管弦楽:NHK交響楽団

2025年10月20日 j.mosa