衝撃的な〈日本の美〉
――東京国立近代美術館「上村松園展」
今回のテーマは日本画家の上村松園で、映画ともオペラとも関係はない。しかし背景となるドラマ性において、松園の絵は2つのジャンルの芸術とも共通性を持つように思う。私は時に美術展に足を運ぶが、それはダ・ヴィンチであったりフェルメールであったりで、じつのところ日本画とは縁が薄かった。浮世絵はまだしも、近代日本画ともなればほとんど初めての体験といっていいかもしれない。戦後の日本の教育の貧しさは、いまだに私という存在に影を落としている。この「上村松園展」も、友人からチケットが回って来なければおそらく行くことはなかったと思われる。
「上村松園展」は、私の心に予想もしなかった衝撃を与えた。この展覧会は前期と後期に分かれていたが、そのそれぞれに私は東京近代美術館を訪れたのである。上村松園のいったい何が、私の心をそれほど虜にしたのだろうか。一言でいえば、〈日本の美〉の大きさと深さに圧倒されたということになるが、ことはそれほど単純ではない。
松園の描く美人画の対象は、江戸から明治にかけての女性である。あでやかな着物姿はそれだけで心惹かれるが、たとえば後期の作品《夕暮》や《晩秋》には作者の母親への想いがこもっていて、穏やかで落ち着いた情緒が心を打つ。障子を開け夕陽を頼りに針に糸を通そうとする女性(《夕暮》)、障子の破れを花形に切り抜いた和紙で繕おうとする女性(《晩秋》)。そのたおやかな美しさは、松園の母親と二重写しになって、私に亡母の姿を思い起こさせる。その美しさは、〈日本の美〉というより他にいいようがないと実感した。
明治生まれの私の母は、日常生活をほとんど和服で通した。呉服商を営んでいた父ももちろんである。私は第二次大戦後の混乱期に生まれたのだが、高度経済成長期まではどこの家でも和服姿が見られたものだ。まことに残念なことに、私はその姿を美しいなどと感じたことはなく、不便なものを着ているなと思ったくらいである。私の親の世代と私の世代には、深い断絶があるのだ。親の世代は、明治時代はもちろん、江戸時代あるいは室町時代の伝統を背負っている。その伝統が、これほどに美しいものであったとは!
松園の代表作《序の舞》も後期の作品である。これから舞を始めようとする女性のきりりとした表情も印象的だが、緋色の着物とあでやかな帯、とりわけ金糸で鳳凰を縫いとった帯の質感には圧倒された。あの絢爛豪華な糸の立体感は実物でしか体験できない。カタログはそれなりに再現性を高めてはいるものの、質感においては実物の一割も表現しえていない。絵画は実物を観るべし、音楽は実演を聴くべしとつくづく思う。それにしても溜息の出る美しさである。
中期の作品、《舞仕度》《娘深雪》、それに有名な《花がたみ》と《焔》。松園の技量はすでに十代から余人に抜きん出ていたようだが、それでも初期の作品には表情が乏しい。絵に深みが増してくるのは明らかに中期以降である。《舞仕度》と《娘深雪》に溢れる湿潤とした情緒。頬を染め、恥じらいを見せる女性の表情は、心に秘めた恋情をうかがわせる。《花がたみ》となると心は恋に狂い、《焔》の六条御息所は怒りと嫉妬に身を焦がしている。頭髪を咥えざまに、観る者を狂おしく振り返るその表情は凄惨という他はなく、着物に描かれた蜘蛛の巣は嫉妬の深さをいや増している。それでいて、何という美しさであろう。
四十歳前後の中期作品は、松園芸術のひとつの頂点だろう。力を振り絞って《焔》を描き上げたあと、松園は深刻なスランプに陥ったという。そこから脱して第二の頂点を極めるのが、六十歳の前後ということになる。生活の面でも精神の面でも松園を支え続けた母親を見送ると、その視点は平凡な日常に向かった。そしてそこから、おそらくかつて誰も表現したこともない、深く優しい〈日本の美〉が生まれたのだと思う。私がもっとも感動したのは、他でもない、この美しさである。
東京近代美術館
「上村松園展」
2010年9月7日~10月17日
2010年10月18日 j-mosa



