チェーホフとシューベルトの親和性——『雪の轍』は人生の哀歌

94歳の栗本尊子の歌を聴いて以来、音楽表現にも年齢による成熟というものがあることを実感したものだが、いっぽうで、芸術というものは年齢を楽々と超えるものであることも、充分承知している。

私の愛してやまない二人の作曲家、モーツァルトとシューベルトは若くして死んだ。モーツァルト35歳、シューベルトに至っては31歳! 彼らがあと10年、20年生きていてくれたなら、と思わないではないけれども、彼らは、後世の人間を楽しませるに十分過ぎる作品群を残してくれている。

音楽にはさまざまな力があるが、人の心をしみじみと慰めてくれるという点では、他のどの芸術よりも優れていると私は思う。この観点からいうと、モーツァルトとシューベルトは、双璧の作曲家ではないだろうか。生きることの哀しさを、この2人ほど美しく歌ってくれる作曲家は他にはいない。

シューベルトの作品では、ピアノソナタを一番よく耳にする。とりわけ最後の3つのソナタ、なかでもD959のイ長調のソナタが好きである。音の粒子がキラキラと渦を巻いて浮遊していて、この曲にはどこか異次元の響きがある。それでいて第2楽章では、地に降り立った音が、哀しい人生の道を静かにたどる。我知れず目頭が熱くなるのも、この楽章である。

トルコ映画『雪の轍(わだち)』には、このシューベルトのピアノソナタD959の第2楽章アンダンティーノが通奏低音のように響く。生きることの哀しさ、人と人とが理解しあうことの難しさをテーマとしたこの映画に、これほど美しく調和した音楽もないだろう。チェーホフから発想を得たというこの映画だが、そのチェーホフも44歳の若さで亡くなっている。

『雪の轍』の舞台はトルコのカッパドキア。洞穴遺跡で名高い世界遺産だが、主人公は洞穴をそのまま利用したホテルを経営している。他にもアパートなど多くの不動産を親から譲り受けているらしい。イースタンブールでの舞台俳優を退いて、親の遺産の管理に当たっていることも分かってくる。金があり、教養もあり、若く美しい妻もいる。映画は、この幸せを絵にかいたような主人公、アイドゥンの不幸な生活を延々3時間にわたって描写する。それを決して長く感じさせないところに、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の卓抜した腕があるのだが、観る者は、まさに自分のこととして映画の出来事を体験することになるのだ。

ピケティ教授によると、アメリカでは10%の人間が70%の富を独占しているという。このように、経済的には人間は著しく不平等である。しかしながら、理解しあうことの困難さという、人間にとって耐えがたい不幸は、すべての人間が平等に負っている。これは、誰もが愛しあうことができるという幸福な平等性と、対を成すものでもあるのだが。

壮大で荒涼としたカッパドキアの遺跡群、草原を疾駆する野生の馬、人間の営みすべてを覆い尽くす深い雪、いびつに歪んだホテルの部屋々々——心に染み入る映像美はまた、シューベルトの美しいメロディとともに、観る者に深い内省を迫ってやまない。

今作は2014年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。納得である。

2014年トルコ・フランス・ドイツ映画

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:エブル・ジェイラン 、 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ハルク・ビルギナー、メリサ・ソゼン、デメット・アクバァ、ネジャット・イシレル、セルハット・クルッチ
2015年7月14日 於いて角川シネマ有楽町

2015年7月31日 j-mosa