愛の概念の地平を広げる——『キャロル』と『リリーのすべて』

2016年に上映された映画のベストテンが発表された。権威があるのは「キネマ旬報」であろうが、「スクリーン」の洋画ベストテンには深い感慨を覚えた。10本のうち7本も観ている(「キネマ旬報」では4本)ということも感慨のうちのひとつだが、それよりも、性的マイノリティを扱った映画が2本入っていることに、時代を感じざるをえないのだ。

ところで、「キネマ旬報」「スクリーン」とも洋画の第1位は、クリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』である。劇的な事件を、機長の人間性も深く描いて、イーストウッドの職人芸が素晴らしい。万人に感銘を与えるという意味で多くの票を獲得したのはよく分かるが、第1位の映画なのだろうかという点では疑問は残る。

さて、『キャロル』と『リリーのすべて』を観たのは偶然だった。ある会合の帰り、時間を持て余し、たまたま帰宅途中にある飯田橋ギンレイホールに立ち寄ったのだった。観終わって私は、この2本の映画を組み合わせて上映したギンレイホールという映画館に、心からの敬意を捧げたく思った。性的な愛の概念の見晴らしを、遥かに広げてくれる映画だったのだ。

『リリーのすべて』は、世界ではじめて性的適合手術を受けた実在のデンマーク人、リリー・エルベがモデルである。女装して、画家である妻のモデルになったことを契機に、自らの女性性に目覚めていくアイナー(=リリー)の姿がリアルに描かれている。

女装傾向の著しい夫の行動に動揺した妻ゲルダは、何人もの医者にアイナーを診せる。時は1926年、アイナーは精神異常者としてしか扱われない。電気ショック療法など過酷な治療が、次第にアイナーを追い詰める。

しかしついに、「アイナーは病気ではない。彼のいうことは正しい」と診断する医者にパリでめぐりあい、彼の手で性的適合手術を受けることになる。生命の危機をも伴うこの手術に最後までつきあったのは、妻ゲルダである。

この映画は、アイナーという「男性」が、本来の自分である「女性」リリーを取り戻すトランスジェンダーの物語である。と同時に、夫をありのままに受け入れ、愛するという、妻ゲルダの困難な愛の物語でもある。ゲルダを演じたアリシア・ヴィカンダルは、アカデミー賞の助演女優賞を受賞した。

「キネマ旬報」でもベストテン入りを果たした『キャロル』は、レズビアンをテーマとしている。写真家になることを夢見ているデパート店員のテレーズは、玩具売り場で美しい人妻キャロルと出会う。恋愛のひとつの典型、一目惚れというわけである。対象は異性ではなく、同性であるのだが。

夫とは別居中で、娘の養育権問題で争っているキャロルも、純真なテレーズに惹かれていく。深まるふたりの愛。しかし探偵まで雇い養育権を得ようとする夫の妨害行為は、ふたりの仲を遠ざけてしまう。テレーズは写真撮影に没頭する日々となる。

幕切れはまことに感動的である。風前の灯のふたりのかすかな絆が危うくもつながることになる。空席を挟んで隣で鑑賞していた中年の女性から、低いうめき声が漏れた。顔を覆って泣き声を抑えている。主役のふたり、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが、妖しい恋心を繊細に演じて素晴らしい。ルーニー・マーラは、カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得した。

唐突だが、この社会は進歩しているのだろうか、と時に思う。悲観的な思いを禁じえない私ではあるが、『リリーのすべて』や『キャロル』のような映画がつくられ、これらが高く評価される時代になったことは、素直に喜びたい。日本においても、一部の自治体では、同性婚が認められるようになった。

2016年9月6日 於いて飯田橋ギンレイホール
『リリーのすべて』
2015年イギリス・アメリカ・ドイツ映画
監督:トム・フーパー
脚本:ルシンダ・コクソン(英語版)
原作:デヴィッド・エバーショフ
『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』
出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィキャンデル、マティアス・スーナールツ、ベン・ウィショー、セバスチャン・コッホ、アンバー・ハード

『キャロル』
2015年アメリカ映画
監督:トッド・ヘインズ
脚本:フィリス・ナジー
原作:パトリシア・ハイスミス『The Price of Salt』
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、サラ・ポールソン、カイル・チャンドラー

2017年1月29日 j.mosa