死刑制度を考える――
「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」
1968年の秋、4件の連続射殺事件が起こった。ヴェトナム戦争反対運動など、学生を中心に反政府運動が広がり、社会は騒乱の中にあった。その渦中の事件であり、4件の被害者に共通項が見出せないこともあって、社会はさらに騒然とした。翌年4月、その事件の犯人として逮捕されたのが永山則夫である。ほぼ同世代ということもあり関心は持ったものの、その後の裁判の過程は新聞で知る程度であり、ましてや彼の著作も読むことはなかった。
昨夜のNHK教育テレビ「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」の再放送を観たのもまったくの偶然だった。お好みの「N饗アワー」が終了してこの番組が始まったのだが、観始めると、用意しつつあったオペラのDVDなどそっちのけで、その内容に引き込まれていった。そして強い衝撃を受けた。
この番組は、永山が獄中28年間に書いた手紙(総数1万5千通を超えるという)と、関係者の証言から構成されている。とりわけ彼と獄中結婚したミミこと和美との関係性に焦点が当てられている。一言ずつ考え、反芻しながら、とつとつと語る彼女の謙虚で奥深い証言は、事件を超えて、人間存在の本質に迫る力があった。
和美は、1971年に出版された『無知の涙』を、80年にアメリカで読む。深い感動を覚えた彼女は、獄中の永山に手紙を出す。それに共感した永山は即座に返事を書き、こうして二人の文通が始まる。半年後、永山の懸念にも関わらず和美はアメリカの仕事を捨て、帰国する。鉄格子越しにはじめて彼女の姿を見たときの、天にも昇るような永山の感動が、この番組では素直に表現されていて好ましい。2ヵ月後二人は結婚する。和美は永山の濁りのない魂に惹かれたという。
また和美は、永山の中に、自分自身を見たのだった。フィリピン人の父と日本人の母の間に生まれた彼女は、長い間戸籍がなかった。父は行方不明、母は再婚し、15歳の彼女を沖縄に残したままアメリカに去ってしまう。彼女は極貧の中に捨て置かれる。言葉では表現できないほどの苦難は、社会に対する反感を醸成する。永山の殺人は、自分がやったことかも知れないと彼女は思う。彼女を引き止めたものは、幼い彼女を胸に抱いて寝てくれた祖母の温かみだったという。永山にはそれがなかった。
19歳で逮捕され独房に収監された永山は、当初読み書きも覚束なかった。しかし難漢字も必死に覚え、差し入れられた書物を読み漁るようになる。処刑後残された蔵書の、量の多さと、種類の多彩さには目を見張る。思想書と文学書が多いが、中でもマルクスの『資本論』はひときわ目を惹く。熾烈な読書のはて、彼は自らの殺人を正当化する。貧しさが殺人を生んだのだと。極刑を覚悟しながら、社会を憎み、自分を遺棄した母親を憎んだ。
そんな永山に変化が現れる。弁護団をはじめ彼を支援する人たちの影響もあるが、和美の存在は大きかった。彼は生まれてはじめて人を愛したのである。愛し、愛されることの喜びが、他者の存在を認識することになる。彼が殺した人たちにも、このような愛が存在したかも知れないと思い始める。書物から得た知識に血が通い始めたのである。思想は抽象化なしにはあり得ないが、それが真実の力を獲得するためには肉体化が必要であろう。
二審の東京高裁は、そんな永山の変化も見据えて、一審の死刑判決(79年)を覆し無期懲役に減刑する(81年)。和美は手放しでは喜ばなかった。死刑を免れたとしても、殺人という罪は消えない。生き延びる時間の経過とともに、その罪の意識は重くなるかも知れない。生きることも地獄なのだ。しかし、社会に出たら何をしたいかという質問に答えた永山の次の言葉には、おそらく心からの共感を示したに違いない。「塾をやりたい。競争主義の塾ではなく、一番できる子どもができない子どもの勉強を助けるような、そんな塾をやりたい」。
しかし検察は最高裁へ上告する。二審の判決に死刑制度廃止への意思を読み取ったからだともいわれている。事実裁判は、死刑制度への審判の様相を呈したという。ジャーナリズムの多くも二審を非難した。そして83年、最高裁は二審の判決を破棄し、東京高裁に審理のやり直しを命じる。永山の心は再び硬化する。「生きる希望を持たなかった人間にそれを与えておきながら、結局殺す。こういうやり方をするんですね」と弁護士に語ったというが、永山の心中を察するに余りある。彼は弁護団を解任し、和美とも離婚するに至る。
87年の東京高裁、90年の最高裁で死刑の判決を受け、97年8月1日、東京拘置所において刑が執行された。享年48歳。社会が彼の殺人を生み、更生への道を歩み始めた彼を国家が殺してしまった。日本という社会は、永山則夫という繊細で鋭敏な人間を、二度にわたって押しつぶしたことになる。
永山則夫の背後には、無数の「永山則夫」がいるに違いない。殺人にいたる「永山」は少ないかもしれない。しかし世間を騒がす数々の犯罪の大きな要因の1つに貧困があるという事実は否定できないだろう。心の弱いもの、感受性の鋭いものほど環境の影響を受けやすい。社会は、その突出した部分に対してこそ、救いの手を差し伸べなければならないのではないか。永山を絞首台に追いやった検事たちや最高裁の判事たちに決定的に欠けていたものは、人間存在に対する柔らかな想像力である。
永山の遺骨は、和美の手でオホーツク海に撒かれた。それが彼の遺言であった。
追記:死刑制度廃止は世界の趨勢である。「アムネスティ・インターナショナル日本:死刑廃止ネットワークセンター」のホームページによれば、あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国は94、通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国は10、事実上の死刑廃止国は35、合計139。これに対し死刑存置国は58とされている(2009年6月25日現在)。因みに死刑制度廃止は、EUへの加盟条件の1つである。
NHK教育テレビ
2010年3月21日 22時5分~23時35分
2010年3月22日 j-mosa



