「不安」の根源を衝く現代オペラ
        プーランク『カルメル会修道女の対話』

 「カルメル会修道会」といわれても私たち日本人には馴染みのない名前である。カトリックの修道会では「イエズス会」がもっとも日本で知られているだろう。日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルが所属していた会派であるし、現在でも世界で最大の男子修道会である。東京の上智大学や広島のエリザベト音楽大学を経営しているのも、イエズス会である。

 イエズス会の創設が16世紀であるのに比べて、カルメル会が正式な修道会として認可されたのは13世紀であるという。さらにその伝説上の開祖は旧約の預言者エリアと弟子のエリシャで、パレスチナのカルメル山が発祥の地であるとのこと。観想を旨とするのが特色で、その傾向がいっそう強まったのは16世紀のアヴィラのテレサと十字架のヨハネの改革以降であるらしい。彼ら改革派を跣足(せんそく)カルメル会、旧来の集団を履足(りそく)カルメル会と呼ぶ。日本には1933年に女子跣足カルメル会が、52年に男子跣足カルメル会が渡来し、現在でも布教活動を行っているとのことだ。ちなみに作家の高橋たか子に決定的な影響を与えたのは、このテレサとヨハネである。  

 さてこのオペラは、フランス革命時に実際に起きた、コンピエーニュ(パリから北東80キロの閑静な街)の女子カルメル会に関わる事件をもとにしている。「反革命的な陰謀を企てた」として死刑に処せられた、16人の修道女の受難物語である。物語の多くが史実に拠っていながら、主人公の貴族の娘、ブランシュは架空の人物である。このブランシュを創造したことによって、このオペラはより普遍性を獲得した。それは、人間の抱える根源的な「不安」が、主要テーマとなったからである。  

 そもそもブランシュは、母親が恐慌に陥っている最中に生れた。王太子とマリー・アントワネットの婚姻を祝う花火が暴発し、パニック状態の群集が侯爵夫妻の馬車に暴行を加えたのだ。数時間後館に帰り着いた夫人は、女児を産み落として亡くなる。こうして誕生したブランシュは、病的なまでに怯えやすい少女として育つことになった。生れ持った繊細な資質に加えて、時代は革命前夜、パリには不穏な空気がみなぎっていた。ブランシュは身を蝕む不安に耐えかね、修道院入りを決意する。

 このオペラの原作は、ドイツの女流作家ゲルトルート・フォン・ル・フォール(1876-1971)の『断頭台の最後の女』である。それが発表された1931年はすでにヒトラーの権力が確立されつつあった。「来るべき運命をひしひしと予感させる暗雲が、すでにドイツの上にたれこめていた時代の、ふかい恐怖感から生まれで出たこのブランシュの姿形は、いわば〈終末にむかいゆくひとつの時代全体の死の不安の具現〉として、わたしの眼前にあらわれて来たのだった」と、ル・フォールは『手記と回想』に書いている。彼女は不安にとらわれた自身の心的状態をブランシュに投影したのだった。  

 オペラの台本は、ル・フォールの小説をもとに書かれたジョルジョ・ベルナノス(1888-1948)の戯曲に、作曲者フランシス・プーランク(1899-1963)自身が手を加えている。作曲は難航した。不安と恐怖をテーマとするこの作品は、ベルナノスを死の床に導いたようだが、プーランクをもパニック状態に追い込んだ。ひどい不眠症におちいり、一時は入院治療を余儀なくされたという。オペラの完成は1956年6月。2年10ヶ月の歳月を要した。翌57年1月26日、ミラノ・スカラ座においてイタリア語初演。フランス語による初演は、同年6月21日、パリ・オペラ座で行われた。  

 革命前夜という社会的な不安、ブランシュの心を蝕む内面的な不安、さらに修道院長クロワシーをとらえる死の不安。音楽は、騒乱、不安、死を暗示する響きに満たされている。なかでも、クロワシー院長臨終の場面は、第1幕最大の聴きどころである。彼女は激痛に耐えかね、神を冒涜する言葉さえ口にする。修道院長の威厳が次第に崩れ去るこの長丁場を、郡愛子は深いコントラルトの声を制御して見事に歌いきった。

 長年神に仕えてきた、尊敬すべき院長の錯乱。その姿を目の当たりにしてブランシュの心はさらに動揺する。そして時代は恐怖政治へと進行しつつあった。修道士・修道女の追放と修道院の売却が決定される(1792年9月)。第3幕第1場は略奪され荒涼とした礼拝堂。新しい院長は不在だが、マザー(上席修道女)・マリーの主導のもと殉教の誓いが立てられる。ブランシュもその誓いに加わるものの、恐怖にかられて修道院から逃走する。冷静な新院長と情熱的なマザー・マリーの対比もよく書けている。本宮寛子は静かな威厳を表現して貫禄十分にリドワール院長を演じ、牧野真由美も誇り高く強靭な心のマザー・マリーをよく歌った。

 それから約2年後の1794年6月、隠れ住んでいた修道女たちは告発・逮捕され、パリに移される。ただマザー・マリーは所用でパリに出かけており、逮捕を免れた。そしてこの悲劇を後世に書き残すことになる。ここまでは史実である。一方、修道院からパリに逃げ帰った物語上のブランシュは、占拠された父の家で使用人として働いている。兄は亡命し、侯爵である父は断頭台に送られた。なにものも信じられなくなっているブランシュは、買い物に出かけた路上で偶然カルメル会修道女たちの逮捕を知る。

 最後の第3幕第4場、革命広場の場面は素晴らしい。群集が見守るなか、15人の修道女がギロチンにかけられていく。声を合わせて歌われていた「サルヴェ・レジーナ(天の王妃よ)」が、一人またひとりと処刑されていくにつれ、小さくなり弱まっていく。不規則に挿入される不気味なギロチンの音。群集に紛れてその有様を見つめていたブランシュは、15人目の修道女が処刑される直前に断頭台に進み行き、16人目の殉教者として聖歌を歌い継ぐ。不条理な死を、神への信仰心が克服する感動的な場面である。

 簡素で品格のある舞台、歌手たちの抑制された演技――松本重孝の演出は印象深いものだった。そしてなによりも、プーランクの緊張感と透明感に満ちた音楽を、じつに細やかに美しく演奏してくれた指揮のアラン・ギンガルには、心から敬意を表したい。合唱を含めて、この舞台は、藤原歌劇団の水準の高さを認識させてくれた。

2010年2月7日 東京文化会館
ブランシュ:佐藤亜希子
クロワシー修道院長:郡愛子
リドワーヌ修道院長:本宮寛子
マザー・マリー:牧野真由美
コンスタンス修道女:大貫裕子
ド・ラ・フォルス侯爵:三浦克次
騎士フォルス:小山陽次郎
東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:アラン・ギンガル
演出:松本重孝

2010年2月10日 j-mosa