現代に越境する17世紀の音楽
フィリップ・ジャルスキーとラルペッジャータ

 ここ何年か、ヘンデルをはじめバロック・オペラの復興が目覚ましいが、その一端を担っているのが、次々と輩出するカウンターテナーであろう。バロック・オペラの主役はカストラート(変声期前に去勢された歌手)など高声部を歌う歌手がつとめるのが普通で、それが存在しない現在、カウンターテナーがその代役となっている。グスタフ・レオンハルトやニコラウス・アーノンクールなどと共に古楽隆盛の礎を築きあげたルネ・ヤーコプスなどはそのはしりではないか。その後、ヨッヘン・コヴァルスキー、ドミニク・ヴィス、マイケル・チャンス、アンドレアス・ショルなど有能なカンウンターテナーが登場し、バロック・オペラを上演する環境が整ったのである。

 フィリップ・ジャルスキーは、数あるカウンターテナーのなかでも、群を抜く才能の持ち主であろう。この声種は、男性がメゾソプラノやアルトなど女声パートを歌うわけで、いささか無理が生じる。声に輝きがなかったり、フォルテに力強さが欠けていたりするのだ。しかしジャルスキーの声はどこまでも自然で、輝きと強さはもちろん、深い音楽性に溢れている。ヴィヴァルディのオペラ・アリア集のCDではじめて彼の声に接して以来、私はすっかりフアンとなったのである。

 今年の8月、NHKのBShiで放映されたステファノ・ランディ(1587-1639)のオペラ『聖アレッシオ』でもジャルスキーはタイトル・ロールを演じていた。妻や父母などこの世のすべてのしがらみを捨てて神に身を捧げるアレッシオ役は、透明で中性的な美しさをたたえたジャルスキー以外には考えられなかったに違いない。ウィリアム・クリスティの指揮共々、この上演はとても印象深いものだった。

 そのジャルスキーが来日するというので、いの一番でチケットを取り、心待ちにしていたのだった。昨5日の公演は、期待に違わぬ素晴らしいものだった。ジャルスキーは言うに及ばず、じつに巧みな歌を聴かせてくれたガレアッティ、そして特筆すべきは、バックを支えたラルペッジャータというバロック・アンサンブルである。プログラムを読むと、この公演の中心人物が、ラルペッジャータを率いるクリスティーナ・プルハルであることがわかる。  

 この公演は、2つの大きな流れから成り立っていた。1つは言うまでもなくジャルスキーの流れで、モンテヴェルディに代表されるイタリア・バロックの正統派である。あと1つが、ガレアッティが体現する、イタリア、スペイン、中南米にも及ぶ民衆音楽とでもいうべき流れである。二人の歌唱法はまったく異なる。ガレアッティをヴォーカルと表現してソプラノと言わないのには理由があるのだ。にもかかわらず、この異なる音楽の流れが、歌うこと・演奏することの愉悦を介して、舞台の上で見事な融合を見せてくれた。

 二人の歌を支えたのはラルペッジャータである。テオルボ、リュート、バロックヴァイオリン、コルネット、プサルタリー、パーカッション、チェンバロで構成されている。プサルタリーとは、イランでサントゥールと呼ばれている打弦楽器と同種のもので、ピアノの原型とも言われている。繊細で透明な響きがする。パーカッションは、太鼓、シンバル、鈴、カスタネット、それに目にしたこともない楽器も含めて何種類の音が聴こえてきたことか。コルネットは角笛を細長くしたような形で、ここから奏でられる哀愁を帯びた音色がまたいい。これら多彩な楽器の音色が複雑に絡まりあい、絶えて耳にしたこともない響きが、17世紀を中心とする音楽を見事に表現した。そしてガレアッティ作の親しみ深い曲とも溶け合って、現代に生きる私たちの心にストレートに訴えかけてきたのだ。アンコールのモンテヴェルディ「ああ、私は倒れてしまう」はいつの間にかジャズに変容していた。何という自在さ! 博物館入りの音楽とは対極にある。  

 演奏される曲目はプログラムに書かれているのだが、演奏順は当日発表され、私は掲示されたそれを携帯に撮ったものの、上演中にはどの曲目が歌われているのかほとんどわからなかった。そしてそれで問題はなかったのだ。すぐれた演奏は、予備知識が何もなくとも、内容を十分に伝えてくれる。愛の喜びや悲しみ、自然の賛歌、音楽への捧げもの……。一番前の席で、演奏者の表情を間近にしながら、休憩なしの2時間、舞台から溢れて出てくる音楽にただただ圧倒され続けた。王子ホールに集う300人の聴衆と一体となったこのコンサートは、音楽とは何かを考える上でも、またとない貴重な体験であった。

指揮&テオルボ:クリスティーナ・プルハル
カウンターテナー:フィリップ・ジャルスキー
ヴォーカル:ルチッラ・ガレアッティ
リュート、バロックギター:エーロ・パルヴィアイネン
プサルタリー:マルギット・ウベルアッケル
バロックヴァイオリン:アレッサンドロ・タンピエーリ
コルネット:ドロン・シャーウィン
パーカッション:ミシェル・クロード
チェンバロ:北御門はる

2009年11月5日 王子ホール

2009年11月6日 j-mosa