牙を剥く農業資本と人間の生命力
―ジョン・フォード『怒りの葡萄』
アメリカのサブプライム・ローンに端を発した経済不況で世界が揺れている。経済が巨大な規模でグローバル化していることを身をもって実感させられる日々だが、貿易において、アメリカが重要な戦略物資と位置づけているものに食糧がある。広大な農地を背景に、播種から収穫まで、一貫した機械化農業が生み出す安価な小麦・トウモロコシ・大豆が、日本はもちろん、メキシコなどの農業国をも席巻している。
おまけに、遺伝子組み換えという最先端のバイオテクノロジーを駆使して、世界の種子を独占しようとしているのである。モンサントとデュポンの、アメリカの2大バイテク企業の種子売上げは、世界市場の35%を占めるという。除草剤と抱き合わせに販売する巧みな商法で(遺伝子組み換えによって除草剤に強い種子が作られている)、莫大な利益を上げているともいう。
さてこの2月23日、NHKのBSで、ジョン・フォードの『怒りの葡萄』が放映された。登場人物はほとんどが農民である。当然のことながら、当時のアメリカの農業のありさまが背景として描かれている。それもドキュメンタリー映画と錯覚するほどのリアルさをもって。そこには、アメリカの現代農業の原点が、赤裸々に表現されているのだ。「難民」が生み出される構造も見てとることができる。
1930年代末、アメリカ南部は旱魃と砂嵐に見舞われ、農民は凶作に為す術もなかった。この歴史的事実をもとにスタインベックは小説を書き、その刊行の翌年、1940年にこの映画は作られた。ジョン・フォードは原作に忠実な映画化を行ったようである。
広大な畑を貫く1本の道。そこを白昼、背の高い一人の青年が歩いている。便乗お断りというプレートを無視して強引にトラックに乗り込むあたりから、この青年の性格が描写される。運転手は好奇心に満ちた目で助手席に座る青年を眺め回すが、それに対して彼は、「刑務所からの帰りだ」と乱暴に答える。降り際には「殺人罪だ」とも。ヘンリー・フォンダ扮するトム・ジョードはこうして登場する。秀抜な幕開けである。
彼は7年の刑期のところ4年で仮出所となり、家族の暮す家を目指している。夜半、途中遭遇した元説教師(ジョン・キャラダイン、彼も好演)ともども家に帰り着くが、そこには人の気配がない。砂嵐のなかで、灯火のない家がふるえている。いったい何が起こったのか、彼らには理解できない。かろうじてろうそくに灯をともすと、片隅に物音がする。疲れきった表情の隣家の主人ミューリーが姿を現す。彼は事の顛末を語って聞かせるが、その物語にこそ、現代にまで続くアメリカ農業の本質が隠されている。
ジョード一家は、そして周辺の多くの家も、数代にわたる小作農民である。彼らは、凶作に便乗した地主に土地を追われようとしている。生まれたときから住み、土にまみれて働いてきた土地である。簡単に立ち退くわけにはいかない。しかし、抵抗する農民の家は、大型トラクターに踏み倒される。それを操縦する若者は、顔見知りの農民の息子だ。「食っていくためには……」と彼は言う。
立ち退きを迫る男たちにミューリーは銃を向ける。しかし彼らは使い走りにすぎない。地主はどこだと彼は叫ぶが、もはや顔の見える地主は存在しないのだ。土地は企業家のものになり、その背後には金融資本がある。「いったいどいつを撃てばいいんだ!」。悲痛な農民の声が乾燥した大地に響くばかりだ。
1台の大型トラクターが、小作農家12軒分の収穫をあげる時代がきていたのだ。アメリカの農業が本格的に大規模化するのは第2次世界大戦の後だが、その芽はすでに1930年代に芽生えていたことになる。
ジョード一家12人は、家財道具一式をおんぼろトラックに詰め込み、はるかカリフォルニアを目指してオクラホマを後にする。年老いた祖父は最後まで出立に抵抗する。そしてオクラホマを離れる前に心臓麻痺で死亡するのだが、彼の手にはしっかりと土が握り締められていた。土地を奪われるということは、単に生産手段を奪われるということではないのだ。心の拠り所も同時に奪われるということだ。
同じように土地を奪われ難民化した農民は数が知れない。こぞって「乳と蜜の天地」カリフォルニアを目指す。もちろんカリフォルニアは楽園などではなく、桃など果実農園の労働力は買い手市場となっている。劣悪な住居と買い叩かれる労賃、反抗する人間への資本と警察権力の仕打ち。現実を前に、主人公トム・ジョードの目は開かれていく。
ヘンリー・フォンダは、自らトム・ジョード役を買って出ただけに、緻密で周到な演技を見せる。家族思いで情に厚く、人一倍の正義感を持ち、しかし喧嘩早さに難がある。それに長年の刑務所生活の故か、狷介で屈折した面も併せ持つ。また、教養はないけれど、物事の本質を見極める確かな目を持っている。こんな難役を見事に演じている。
4年ぶりに母親に会う場面の、フォンダの表情がいい。母親への懐かしい感情を胸一杯に込め、“Ma!”と一言発するのだが、それだけで彼がいかに母を愛し、家族を愛しているかが、観る者に伝わってくる。彼を抱きしめる母親がまたいい。この映画は、現実をリアルに描いた、単なる社会派映画ではないのだ。母親に象徴される、悲惨さをものともしない庶民の生命力こそ、この映画の主題といえるだろう。母親を演じたジェーン・ダーウェルは、アカデミー賞の助演女優賞を得たというが、もっともなことである。
1940年アメリカ映画
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
原作:ジョン・スタインベック
撮影:グレッグ・トーランド
音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:ヘンリー・フォンダ/ジェーン・ダーウェル/ジョン・キャラダイン
2009年2月27日
j-mosa



