絢爛、妖艶、冷酷、そして可憐―ヘンデルの『アルチーナ』
音楽好きのイギリスの友人と楽しい一夜を過ごしたことがある。オペラ談義で盛り上がったとき、好きなオペラを5つ挙げるよう提案された。突然のことでもあり、私はうーんと困ってしまった。『フィガロの結婚』は文句なしだけどなぁ。これには彼も異議はない。あとが困るのだ。好きなオペラと言われると、モーツァルトとヴェルディだけで5本の指は尽きてしまいそうだ。しかし、それではいくらなんでも曲がなさすぎる。
彼はモーツァルトに続けて、『トゥーランドット』と『ヴァルキューレ』を挙げた。うーむなるほど。プッチーニとヴァーグナーから選ぶとするとその選曲はごもっとも。しかし、この2人のオペラは私のベスト5には入らない。そして『ポッペアの戴冠』だと言う。モンテヴェルディか、これには1票を投じてもいいかなという気分。
最後に挙げられたのが『ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)』。ヘンデルとはなんとも渋いではないか。2005年の10月、私はこのオペラを王子の北とぴあで観た。鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを指揮した、二期会中心の公演だった。若い歌手が好演し、指揮も素晴らしく、大変印象に残っている。
しかし、いたるところにアリアが登場し、劇の進行を妨げてしまう。それに長いのだ。このオペラをベスト5に入れるとはいったいどういうことだろうと怪訝に思った。しかも彼は、オペラの作曲家ではヘンデルが一番好きだと言う。ヘンデルはイギリスに帰化したから、ある意味でイギリス人である。そういうこともあるのだろうかとも推察したのだった。
NHKのBS2で、しばらく前に、ヘンデルの『アルチーナ』を放映した。いつものように深夜放映なので、自動録画してDVDにおとしたものの、そのままラックに眠らせていた。それを観てみようと思い立ったのは、イギリスの友人の、ヘンデルのオペラが一番好きだという言葉を思い出したからだ。そしてなんと、このオペラは、とびきり面白かったのである。
今、世界のオペラ界でもっとも刺激的なのはドイツの歌劇場である。そのなかでもシュツットガルト歌劇場は、演出のペーター・コンヴュチュニーを中心に、斬新な舞台を作り続けている。この『アルチーナ』の演出はコンヴィチュニーではないが、時代を現代に移し、騎士が背広を着て登場する。
ヘンデルの音楽は耳に快く、主要登場人物7人が入れ替わり立替わり美しいアリアを披露する。透明な響きのオーケストラに伴奏されたそれらのアリアは、うっとりするほどに美しい。しかしこの音楽から、思ってもみないような生々しい愛憎劇が生まれたのである。
魔女アルチーナの登場場面からして、度肝を抜かれることになる。新しい恋人ルッジェーロと熱い口づけをかわし、体を絡みあわせたまま、彼女の国に迷い込んだ2人の新参者の前に姿を現す。身体にぴたりとあったワンピースを着こなしたその姿は、なまめかしく深い声ともあいまって、観るものを魅了する。よく見ると、上半身が透けて見える。
この舞台は、アルチーナを演じるキャサリン・ネイグルステッドの存在があって初めて可能となったものだろう。歌のうまさはいうまでもなく、容貌もまことに魔女にふさわしい。冷やかで底の知れない美しさである。彼女は何度も衣装を変えるが、すべて黒のボディ・コンのワンピースで、豊かな肢体を見せつける。彼女に魅入られた数知れない男たちが、もてあそばれ、獣にされてしまったのも無理はない。
さて、アルチーナの国に迷い込んだ2人とは、失踪した恋人ルッジェーロを探すブラダマンテとその後見人である。ブラダマンテは男装しており、アルチーナに魂を奪われたルッジェーロには彼女の真の姿がわからない。そしてアルチーナの妹がブラダマンテに恋をして、その恋人は嫉妬にかられる。さらに獣に変えられた男の息子がからみと、筋書きは複雑だが、アルチーナ、ルッジェーロ、ブラダマンテの、恋の三角関係が本筋といっていい。
そして、聴きどころは何よりも、激しい心の動きを歌うアルチーナのアリアである。正気にかえったルッジェーロは、ブラダマンテと共に逃亡をはかる。アルチーナの怒り、嘆き、苦しみ、また脅し……。冷酷さと可憐さが表裏となった、女性のある一面が浮かび上がる。
ヘンデルの音楽が、単に美しいだけのものではないことが、この舞台を観ているとよくわかる。ロマン派のオペラのように、人間の感情が生に表出されることはないものの、その存在の奥深さ、掴みどころのなさ、あるいははかなさなど、そくそくと伝わってくるものがある。
ヘンデルには40以上ものオペラ作品がある。私が観たり聴いたりしたものは、この『アルチーナ』以外では、『ジュリオ・チェーザレ』と『ジュスティーノ』だけである。もっとヘンデルを聴いてみたい。オペラを聴く楽しみがまた増えたというものだ。私のオペラ・ベスト5にヘンデルが入ってくる予感も強くする。イギリスの友人、ポールさんに感謝しよう。
2000年5月~7月
シュツットガルト国立歌劇場
キャサリン・ネイグルステッド
アリス・クート
ヘレン・シュナイダーマン
カトリオナ・スミス
ロルフ・ロメイ
ミヒャエル・エベッケ
クラウディア・マーンケ
ハインツ・ゲルガー
アラン・ハッカー[指揮]
シュツットガルト国立歌劇場管弦楽団
ヨッシ・ヴィーラー/セルジョ・モラビート[演出]
2007年4月25日 j-mosa



