歌と踊り、そして政治と宗教——インド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』

歌あり、踊りあり、笑いあり、美談あり。とかく楽しいインド映画。この通俗的な流れで鑑賞しても、楽しめることは請け合いである。歌と踊りの迫力は、『ボヘミアン・ラプソディ』と比べても遜色はない。高性能のスピーカーを備えた映画館で鑑賞すれば、座席が揺れるほどの音響を体験できるはず。アップリンク渋谷の小さな会場でさえ、その迫力が堪能できた。

この映画のスゴイところは、そんな典型的な娯楽作品に、いくつもの哲学的・政治的なメッセージが盛りこまれている点にある。それも、高尚な態度は微塵もなく、まったく自然な形で表現されている。観るものは、物語の展開の面白さにわくわくしているうちに、心のなかに、いささかの疑問や憤りを覚えるようになる。ここに、監督の巧みな腕を感じざるをえないのだ。技を技と感じさせないのは名作の条件である。

バジュランギおじさんは、小さな迷子の手をとって、インドとパキスタンの国境を越えようとする。彼女を家に送り届けるためである。雪に覆われたカシミールの高地に延々と連なる鉄条網の国境。「愛」を拒む冷徹な政治の象徴としてこれ以上のものはない。トランプの愚かさも想起させる。1947年、ジンナーがイスラーム教徒を引き連れてパキスタンを建国し、この国境を設定したのだ。民族統一を志していたガンジーは、さぞや無念であったことだろう。

バジュランギおじさんは熱心なヒンドゥー教徒で、ハヌマーン神を崇拝している。小さな迷子は、イスラーム教徒でパキスタン人。ふたつの宗教は、ともに天をいただかずというほど敵対している。おじさんは、当然のことながら、けっしてモスクには足を踏み入れようとはしない。しかしながら、ふたりで決死行をともにするうち、ハヌマーン神とアッラーの神は共存することになる。このへんの描き方も自然でじつにいい。人間の力が及ばない事態では、人は祈らざるをえない。その対象が、民族、時代、環境などで異なるだけだ、ということがよく理解される。

ふたりの決死行に途中から加わるのが、フリーのジャーナリスト。彼によって、物語に奥行きとふくらみが生まれた。彼は、ふたりの決死行の真実を伝えようと、その映像をテレビ局に提供しようとする。しかし、どの局も取り扱ってくれない。「愛」がテーマでは視聴率がとれないというわけだ。ひたすら刺激を求める映像ジャーナリズムは、どこの国でも同じらしい。ユーチューブに投稿することで事態が進展する。新しいメディアの可能性に、なるほどと思う。

小さな迷子を演じるハルシャーリー・マルホートラは、5000人のオーディションから選ばれたらしい。表情豊かでかわいらしく、こんな子が迷子になっていたら、誰でも身を投げうって世話をするだろう。それと、カシミール地方の自然描写など、映像の美しさも特筆ものだ。

2019年2月17日 於いてアップリンク渋谷

2015年インド映画
監督:カビール・カーン
脚本:カビール・カーン、パルヴェーズ・シーク、K・V・ヴィジャエーンドラ・プラサード、カウサル・ムニール
原案:K・V・ヴィジャエーンドラ・プラサード
音楽:プリータム、ジュリアス・パッキャム
撮影:アシーム・ミシュラ
編集:ラメシュワール・S・バーガット
出演者:サルマン・カーン、ハルシャーリー・マルホートラ、ナワーズッディーン・シッディーキー、カリーナ・カプール

2019年2月18日 j.mosa