人間関係の原点を探る――濱口竜介『親密さ』

「親密さ」をテーマに、濱口竜介は4時間余の映画を撮った。この監督の映画をそれほど観たわけではないのだが、彼はひとつのテーマを様々な角度から取り上げて、その本質に迫るという姿勢をとっているように思われる。最新作『急に具合が悪くなる』はケアを、その前の『悪は存在しない』は悪を、『ドライブ・マイ・カー』はチェーホフを、という具合に。
テーマが明確であるにも関わらず、彼の映画は単純ではない。どころか、観終わって、幾晩も考えこまずにはいられない。出演者は、彼の書いた脚本の棒読みを、何度もさせられるらしい。そうすることで、脚本の思想が肉体化されるのか。また、その過程で、脚本は修正されるのか。私は想像するしかないが、俳優は演技しながらも、映画の役と日常の自分が、混然一体となっているのではないか。演技の判断を迫られるのは、生身の自分である。脚本には答えはないのだから。
映画は、「親密さ」と題する芝居の上演準備過程と、その舞台そのもの、という2段構成で、それぞれ約2時間。脚本つくりから、本読み、稽古、そして本舞台と、1本の作品が上演される過程がよく分かる。観客は、その4時間余、映画のタイトル『親密さ』を頭に描きながら、上映作品を観ることになる。
なるほど、親密さは、人間が関係を結ぶキーワードである。肉親、恋愛の相手、友人など、それぞれとの関係は、すべて親密さと深く関わる。
「あなたは誰? 私にとってあなたとは?」。真正面から対話をしても、相手を理解できるものではない。理解し合うことの困難さは、文学の永遠のテーマでもある。では、理解できないと親密さは生まれないのか。
「あなたが理解できない。でもあなたが好き」と女は言う。これは親密さをもとにした発言? 恋愛の源泉は親密さなのか。親密さがなくては、恋愛は成り立たないのか?
恋愛関係が終わる。女に未練がある男は、その理由が理解できない。嫌いになったのかと女を問い詰めるが、女は否定する。ではなぜ別れなくてはならないのか? 親密さが失われたからなのか?
父親と母親が離婚をする。あれほど反発しあっていたふたりが、異なるパートナーとはうまくいく。その秘密は親密さにあったのか。ウマが合うのと親密さの関係は?
愛と情欲は一体か? 肉親への愛は情欲とは無縁。では異性への愛とは何なのか? 肉体の関係を結ぶことと親密さとはどう関係するのか?
あなたは誰が一番信頼できる? 信頼することと親密さの間にあるものとは?
映画の最終場面、しばらく会っていなかった男と女が、偶然駅のホームで再会する。喜びあうふたり。だがふたりは、行き先が異なる。駅は田町。それぞれ山手線と京浜東北線に乗ることになる。並行して走る電車の窓越しに、ふたりは楽しそうにふざけ合う。やがて電車は引き裂かれるように別の路線に。ふたりの間の親密さに余韻を残して。映像は限りなく美しく、名場面であった。
2026年8月14日 於いてキネマ旬報シアター
2012年日本映画
監督・脚本:濱口竜介
製作:工藤渉
出演:平野鈴、佐藤亮、伊藤綾子、田山幹雄
主題歌:岡本英之
撮影:北川喜雄
編集:鈴木宏
2026年9月15日 j.mosa



