8、9、10と3日間、猛雨に濡れながらの安保違憲法案反対の取り組みでした。10日から、場所は国会正門前へと戻り、スタートの18:30前から人が集まりはじめました。
永田町2番出口を出て、国会を右手に見ながら緩やかな坂を下ると、信号を渡った前からは、歩道の奥に広い庭がある憲政記念館がそびえています。公園を左手にして歩道を行くと、「総がかり行動」による演壇が用意され、国会正門が見えてきます。この日は、スタッフとして、この憲政公園がある場所から、カンパをお願いしに廻ろうと待機していました。
とそのとき、警察が、永田町の方から信号を渡り、正門に向かう人波に対して鉄柵で歩道をふさいでしまったのです。怒った人たちとの間で当然のように怒号が飛び交い、通り抜けようとする人とは、もみ合いになりました。演壇からここまでは人波が続いているのですが、通路一杯というまでには、まだ余裕があるのに、「桜田門方向から来る人がこちらまで廻って来るから」という理由での突然の鉄柵設置でした。でも前日だかの国会審議で、警察による過剰警備を問いただす発言が野党議員から出たこともあり、警察の行動を見ていた人たちからは、そのことを指摘する声も飛び、総がかり行動スタッフの抗議もあり、5,6分後には、鉄柵が排除され、再び通行が可能になりました。
演壇には、野党議員の発言のあとに、被爆者の方がマイクを持ち、「もし戦争になれば、最後には核戦争だ。地球は滅びる。憲法の解釈を変えることに賛成した議員らは、次の選挙で必ず落選させましょう!」と訴えました。映画監督のジャン・ユンカーマンさんも「安倍首相は、外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるというのは誤解だなど言うが、誤解しているのは首相のほう。私の国アメリカは、ベトナムで、イラクやアフガンで、侵略戦争をした。日本もこれからはそうなってしまう」と発言。和光高校の生徒たちも「先生が、この法案についての説明をしてくれ、今日ここに参加することにした」と続けました。いつもの木曜日の国会議員会館前での恒例の抗議集会よりも、ほぼ倍以上の4000人ほどの参加でした。

■9月11日 民主主義は議事堂の外にある!

11日は、やっとカラリとした青空となり、13時、15時、16時半と正門前で座り込みのあいまに、野党議員などの発言とコールがありました。また、15時からは、憲法学者による「国会正門前青空憲法ミニ講義」があり、これは14日、15日の15時からも同様に開催されるそうです。座り込みの人には簡易椅子が主催側から用意され、雨で配布が遅れていた、参議院の自・公議員の国会議員会館の住所・部屋番号・選挙区を書いたリストとハガキが手渡されました。その場で書き始める人もいて、私は、東京が選挙区の2人の公明党議員にハガキを出しました。


夜の集会には、猛雨が去ったため、昨日の倍の8400人が詰めかけました。議員のほかに真宗大谷派のお坊さんも参加。大谷派は2度と戦争に加担したくないと、法案反対の決議をしたそうです。教員の山口二郎さんは「今、議事堂のなかの民主主義は崩壊している、民主主義は議事堂の外にある」と訴えていました。学者の会からは、青木やよひさんとかつてフェミニズム論争をした上野千鶴子さんが発言しました。上野さんはあの論争では「性差」をめぐって意見が異なりましたが、象牙の塔に籠るタイプの方ではなく、行動するという点では、青木さんと共通するものを感じます。今日は9・11テロがあった日という語り出しで「世界最強の軍事力を持つ米国での事件から分かるように、国家は国民を守ることはできない。70年間、誰も殺してこなかった日本はそれゆえに世界から認められている。憲法を手放してはいけない。憲法を壊すな、平和を守ろうというのは、平凡な言葉だけれども、それをずっと歌い続けてきて、今回、若い歌声が加わったことを喜びたい」など語りました。また、創価大学の先生も公明党は平和の党の原点に戻るべきと、堂々と語りました。

■9月12日 沖縄からの呼びかけ

今日12日は、沖縄の辺野古基地建設に反対する国会包囲で、2万人以上の参加でした。安倍首相が作ろうとしているものとは違う、もうひとつの日本を我々の手で作ろうという沖縄からの呼びかけが新鮮に響きました。


14日の国会包囲、さらに15日~18日まで、連続で国会正門前行動が続きます。昼は15日(12:30~)以外は、13時から座り込み、18:30から19:30は集会です。19:40頃からは、シールズ主催の集会になります。沢山の人の力で、憲法の平和理念をいよいよ大事にする社会にしていきたいものです。

(束)