知と文明のフォーラムⅡとは、行き詰った近代文明を打破し、新しい「知」を構築する目的で、北沢方邦、青木やよひを中心に発足した団体です。

青木やよひの部屋

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青木やよひとは?

歴史の星座というものがある。
時代を彩った天空の無数の星々や銀河のなかで、
ひときわその輝きや他の星々とのつらなりを
深く印象づけたひとである。

北沢方邦

 

 

エコロジカル・フェミニスト青木やよひ

●近代文明の根底を問う視点

青木やよひはまず、日本の女性史に残るいくつかの星座の一角を占め、天空にその輝きを残しているひとといえる。生前よりむしろ、これからその光芒は輝きを増すにちがいない。なぜならその主張は、たんに女性解放だけではなく、フクシマ原発の大事故や袋小路に入り込んだ経済グローバリズムが象徴している近代文明の根底そのものを問う視点からなされているからである。
青木やよひの批判は、近代文明の根底には「男性原理」しか存在せず、しかも均衡をになうべき「女性原理」が存在しないがゆえに、男性原理そのものが歪められている、というものである。

●男性原理と女性原理

男性原理・女性原理とはなにか? 古代文明社会や誤って未開とよばれている社会では、父なる天がその正確な運行によって法と秩序や安定をつかさどり、母なる大地がその豊饒な自然によって持続可能な生産や生活を恵んできたと考え、前者を男性原理または父性原理、後者を女性原理または母性原理とみなしてきた。のちの天地分離という離婚にもかかわらず、父なる天イザナキと母なる大地イザナミとの婚姻によって万物が創造されたというわが国の神話も、人類にとって普遍的なこの思考をあらわしている。

●女性原理を排除した近代

しかし西欧近代は、ローマ帝国以来の家父長的社会制度や、宗教改革以後のプロテスタント的禁欲主義とその人間中心主義によって、自然を抑圧や収奪の対象としか見ず、人間の身体性を疎外する、つまり女性原理または母性原理を排除してきた。それが必然的に女性差別を生み、男性原理そのものを家父長制的に歪めるにいたった。

西欧以外においても、近代化は必ず女性原理の喪失とこの家父長的男性原理の支配をもたらし、それぞれの地域の本来の制度や文化を歪める。明治近代化以後のわが国がその典型である。人口の10%にも満たなかった武士階級の家父長的家族制度にこの近代化を接ぎ木した明治民法は、明治以前のかなり自由な町人や農民の家族制度を破壊し、富国強兵の制度的基盤をつくりだした。明治体制が崩壊した戦後、憲法をはじめ欧米並みの法律や制度が確立されたが、近代文明の根底にあるこの家父長的男性原理は形を変えて存続した。

●女性原理の復権と女性解放

青木やよひの目指す究極の女性解放とは、この歪められた男性原理とそれにもとづく社会そのものを変え、女性原理の復権とそれによる本来の男性原理との均衡の確立、そしてそれによる社会の根底的変革にほかならない。

青木やよひが批判した近代フェミニズムの主流は、この歪められた男性原理のなかでの男女同権の主張にすぎず、たとえば軍隊の半数を女性兵士や将校にすればよいといった論理に収斂し、古代や「未開」の戦士制度とは異なる、近代の軍のあり方や残虐な近代戦争そのものの根底的批判にはいたらない。

●上野千鶴子氏との「フェミニズム論争」

こうした青木やよひの主張は、当然女性原理の根源である自然や身体性の復権をともなうため、「エコロジカル・フェミニズム」(略してエコフェミ)とよばれ、近代フェミニズムの主流からは、両性の性差を誇張する主張、つまり性差マクシマリスト(拡大論者)とよばれ、「論理に対する身体、文化に対する自然の復権に女性解放を矮小化する」(上野千鶴子氏による青木批判の論文)主張として激しい批判を浴びた。

だが性差についていえば、たとえば近年の脳諸科学の進展によって脳そのものの男女の性差が解明され(言語野の領域の差異、脳梁の容積の差異による思考様式の差異など)、世論調査に見られるジェンダー・ギャップなどの根拠が明らかとなり、近代フェミニストによって性器のみとされてきた性差が、身体性全体にかかわることが明確となった。

また金融危機からはじまる経済グローバリズムの崩壊やフクシマにいたる原発大事故、熱帯雨林の消失に代表される環境危機や膨大な二酸化炭素排出による地球温暖化など、大自然を収奪してきた近代文明の終末の未来が明らかとなってきた現在、むしろエコロジカル・フェミニズムの主張が正しいことが立証されている。

●平塚らいてふを超えるエコロジカル・フェミニズム

大正時代、平塚らいてうと与謝野晶子とのあいだで繰り広げられた「母性保護論争」がわが国の女性近代史に残る著名な論争とされてきたが。1985年に展開された青木やよひと上野千鶴子氏との「フェミニズム論争」は、それと匹敵する、あるいはそれを超える歴史的な論争となったといえるであろう。

性差を認め、男女同権であっても母性は保護されるべきであるという平塚らいてうの主張は、大きくは青木やよひのエコロジカル・フェミニズムにつらなり、与謝野晶子の主張は女性の経済的自立を説く点で近代フェミニズムの主流の先駆けであったといえる。

思想的内容や論理性において平塚を超える青木の主張は、フェミニズム論争を超えて、いまや根底的な近代文明批判として光芒を放ちはじめている。

世界的なベートーヴェン研究家

●なぜベートーヴェンか

青木やよひのもう一つの顔は、ベートーヴェン研究家である。

彼女にとってなぜベートーヴェンなのか? 結論的にいえば、ベートーヴェンの音楽やそれによって表現された思想が、近代の枠組みを大きく超えていることを、彼女ははじめに感性によって、のちに論理によって認識したからである。それはまた、彼女のフェミニズムと不可分であった。なぜならあの時代にあってベートーヴェンは、女性をまったく対等な相手として遇し、それぞれの個性に応じて、当時としては破天荒と思われた自由な関係を結んだからである。

●「不滅の恋人」の探究

その端緒は約100年にわたって謎とされてきた「不滅の恋人」の探究であった。日付も宛名もなく、死後デスクの引き出しの秘密の場所から発見された「不滅の恋人」宛ての手紙は、多くの研究者の長年にわたる追求の結果、1812年の夏、ボヘミアの温泉地テプリッツから近くの温泉地カールスバートに滞在していた女性に向けて書かれたものであることが判明したが、その名宛人は不明のままであった。青木は「状況証拠」にもとづく直観によって、それが富裕な銀行家で商人であるフランツ・ブレンターノの妻であるアントニアであることを、世界ではじめて特定し、1959年NHK交響楽団機関誌「フィルハーモニー」に論文として発表した。ただし書かれたのが日本語であったため、当時ほとんどなんの反響もなかった。

その後1970年代にアメリカの研究者メイナード・ソロモンがアントニア・ブレンターノ説を唱え、大きな反響を呼んだ。だが彼の実証や解釈に疑問をいだいた青木は、それを超える本を書くことを意図し、数回にわたるドイツ、チェコ、ハンガリー、スロヴァキアなどの現地調査旅行で実地検証や資料収集を行い、それをまとめ、出版した(『遥かなる恋人に』1991年)。

その後継続した調査旅行で判明した新しい事実や、さらなる研究の成果によってこの問題に関する本が次々と書かれ、最終的に『[決定版]ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究』(2007年)となった。

さらにこれを底本としてドイツ語訳Yayoi Aoki. Beethoven; Die Entschlusserung des Ratsels um die “Unsterbliche Geliebte.”2008,Iudicium, Munchen.が出版され、世界的な反響を呼んだ。英語圏でも書評され、またウィキペディア・ドイツ語版当該項目などインターネットでも高く評価されている。

●既成の概念を破った『ベートーヴェンの生涯』

また青木はこの研究を「不滅の恋人」問題に限定せず、この「事件」を、近代音楽の枠組みを超える後期様式への大転換の鍵としてベートーヴェンの全体像を描きだし、また誤った神話の霧に包まれていた既成のベートーヴェン像を打ち砕いた。それが『ベートーヴェンの生涯』(2009年)である。

ここで青木が示したもっとも重要な鍵概念は、20世紀の「絶対音楽」の神話が象徴的に主張してきたような、作品はそれ自体自立していて、作者の人柄や思想とはまったく無関係であるというデカルト二元論的な芸術観を否定し、芸術作品はそのひとの人格や思想と不可分であるというものである。フェミニズムの根底に身体性を置いた青木やよひならではの芸術観である。

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