「海角七号」、これはどうやら地名らしい。岬7番地といったところか。台湾映画で歴代2位の観客動員数を誇る作品だ。いろんな条件が重なって大ヒットということのようだが、その条件ひとつに舞台が台湾最南端の町(つまり台北でない)ということがある。それを証明するように、映画の冒頭はオートバイにまたがる若者が「くそったれ台北!」という呪詛で始まる。

台北でミュージシャンとしての夢を果たせず都落ちする若者が、故郷の田舎で町おこしのバンドのメンバーになり、その町おこし企画のプロモーションに雇われた日本人の娘が紆余曲折の末、若者と心を通わせ合うというストーリーがメインだ。

そこにもうひとつサイド・ストーリーが加わる。第二次大戦終結時、現地台湾人(おそらく先住民族の娘)と恋仲にありながら終戦で別れ別れになった日本人高校教師の手紙を、60年後になって、教師の孫娘が台湾に送る。その手紙を配達する役が、先の都落ちする若者である。こうして、現代の恋愛と恋60年前のそれとが交錯する。

メイン・ストーリーの町おこしの話は新味に欠けるが、役者陣がなかなか充実している。興味深いのは、役者に先住民系の人が多いことだ。主人公の青年にしてからがそうである。その青年が冒頭で台北に反旗を翻す、そこらへんにも大ヒットの一因があるのかもしれない。

だが、どうも気になるのはこの第二次大戦終戦直後の描写で、ふと疑問が湧く。かつての日本と台湾の関係がこんな風に描かれていいだろうか? この映画監督は、植民地統治下で台湾先住民族を多数虐殺した霧社事件を知らないのだろうか? これとは似て非なる違和感をホウ・シャオシェンの傑作『非情城市』のなかで覚えたことがある。ヒロミの兄の友とされる日本人兵士が死を覚悟して残した言葉(きみがゆくなら、ぼくもゆく…というような語句だったと記憶する)には、危うさがつきまとう。

ついでにいえば、林家の長男がつぶやく「われわれ台湾人は哀れだ、日本の次は中国…」というとき、おそらく、その「われわれ」には台湾先住民族は入ってない。「海角七号」は、存在を無視されがちな先住民族を前面に押しだしただけでも、一定の意味がありそうだ。

むさしまる