もののはずみで、『台湾海峡1949』(リュウ・オウダイ)、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン)と中国系の作品を続けて読むことになった。どちらもノンフィクションで、作者は女性である。主人公が作者の母親(あるいは母親と祖母)という点も共通している。激動などという生易しいことばでは到底いい表わすことのできない中国の現代を描いて秀逸な二作だと思う。じつをいうと、『ワイルド・スワン』の最終章の数ページは、本を読み終えて閉じるのが惜しくて、10日ほどぐずぐずと、机のわきにほったらかしておいた。
近所の食堂の親父から映画の会の誘いがあったのは、ちょうどそのぐずぐずしている頃だった。映画好きが集まって一本の作品を大型テレビで見ながら酒を喰らって語り合う場である。今回は中国映画だという。不思議なめぐり合わせで、二つ返事で出席のメイルを送ったものだった。
今回は例外的に、この映画について書いておきたい。原題は「我的父親母親」、英語のタイトルは「The Road home」、そして邦題は「初恋のきた道」。監督チャン・イーモー。
寒村に赴任する町の若い先生に恋をした娘が、身分差を越えて結ばれるまでの話だ。「まれびとと村の娘の恋」という、それこそ物語の王道を行く、ありふれた筋書きである。絵画でいえば「図」に相当するその40年前の「恋の行く末の物語」がカラーで、それを取り巻く「地」に相当する現在の部分が白黒で表現される。この「図」と「地」のバランスは、通常のそれより「地」の比重が大きい。現在のリアリティーを軽視しないということなのか。
もう一度書くが、40年前の「物語」はありふれた構図である。しかし、そんな単純な筋立てを支える舞台が、譬えようもなく美しい(そして、走る女が譬えようもなく…)。
たとえば、急死した父親の部屋で、新婚時代の両親の写真を見ながら、時計のコチコチという音ともに回想シーンが始まるところ。初めて先生が荷馬車に乗って、丘と丘に挟まれた草原の緑のなかを、うねうねと曲がりくねる細い道を、土煙をあげながら走り来る。道脇には牛が囲われ、荷馬車は羊の群れを追い払いながら進んでゆく。もうひとつ、子供を送る先生を追って白樺林を駆け抜ける女。ピンクの上着に包まれた彼女は、黒髪のおサゲを緑の紐で束ね、首には真っ赤なスカーフをまとい、白樺の白い幹のあいだを蝶のように駆け抜ける。目線の先には、秋色に染まった木々の葉のあいだに先生と子供たちの飛び跳ねる姿が映る。
白樺の木の幹は思いのほか細く、ここ30年とか40年の若々しい木立に見える。ここで、映画のなかの暦の数字を思い起こしたい。先生が帰ってくると明言した年月は1958年12月8日である。冬休み前には、と。1958年? そう、中国全土で3千万とも4千万ともいわれる人々が餓死した、かの「大躍進」の号令がかかった、暗黒の時だ。監督の故郷の西部はいざしらず、舞台になった河北省では、どう考えても食料の豊かさは「まぼろし」でしかない。当時の白樺林の丘は丸裸だったろう。
監督チャン・イーモーの父親は国民党の関係者であった。とすれば、1958年のチャン・イーモーは、共産党政権から徹底的な弾圧を受けたはずで、おそらく、ほとんどまともな食事にありつけない少年だった。してみれば、映画に描かれた自然も、「たんと食べさせておやり」という母親のことばも、非現実というより、監督の経験した現実を反転させた「夢」にほかならない。ことばを換えていえば、ウソではなくフィクションにほかならない。
むさしまる