『ベートーヴェンの生涯』を聴く――《悲愴》から《ディアベリ変奏曲》へ

鼎談:北沢方邦、西村 朗、高橋アキ
演奏:高橋アキ
会場:津田ホール

6月13日津田ホールにておこなわれた青木先生追悼コンサートは、非常に内容の濃い、充実したコンサートだったと思います。

西村先生のお話で、「ベートーヴェンというと、中期、後期を経て、あまりにもものすごい作品がありますが、初期の作品である《悲愴ソナタ》一つとっても、当時として、こんなものすごいものはありません」ということを言っておられたのをよく覚えております。あれだけ壮大な序奏を持っているという点についてのご指摘で、不朽不滅の作品だ、というわけです。そして、「不朽の名作という言葉がありますが、もちろん、メロディーが美しものでも不朽と言えるのでしょうが、しかし、ベートーヴェンというのは、形で、ものすごいものを示してしまった人です」という言葉が忘れられません。

もちろん、ベートーヴェンであっても、不朽のメロディーと言ってもよい美しいメロディーがいくらでもあります。バイオリン協奏曲など、甘い美しいメロディーのメドレーと言ってもいいような作品ですし(もちろん、形式的にもしっかりしています。)、ピアノ・ソナタでもとくに、作品110の第一楽章の第一主題の美しさは、もう「美しい」という言葉自体が色あせてしまうような味わい深いものです。また、追悼コンサートで演奏された、『ディアベリ変奏曲』の第33変奏(最後の変奏)などは、この世から遙かに遠く、究極の音楽ではありませんか! さらに極めつけは、《ミサ・ソレムニス》の〈サンクトゥス・ベネディクトス〉のうちの〈ベネディクトス〉ではなかろうかと思います。

さて、追悼コンサートでは、また、こうも言われておられました。「ベートーヴェンの後期の作品についてのすべてが傑作ということを強調することはない」と。壊れかかっている音楽もあるではないかということです。確かに、私の大好きな作品132の終楽章などは、もう限界ぎりぎりの音の使い方で、壊れかけ寸前と言ってもいいと思います。しかし、また、その壊れかかり方が、病に苦しみ、ひしひしと死が迫っている巨匠から絞り出されるような声として聞かれるのです。

高橋アキさんの演奏ですが、《悲愴ソナタ》については、なかなか普通では聞くことができない、柔らかい、優しいベートーヴェンだったと感じた方が多かったのではないでしょうか。こんなベートーヴェンがあってもいいんだろうな、と思いながら聞いておりました。第三楽章も非常に華麗で美しかったです。私は、《悲愴ソナタ』》の演奏を聞きながら、これなら、恐らくは、《ディアベリ変奏曲》には合っているだろうなあ、ベートーヴェンの後期の作品にはいいだろうなあ、と期待したものです。

それにしても、これだけの大作を生で聞ける機会があったことは、本当に幸せであり、貴重な体験でした。青木先生もさぞや喜んでおられるに違いありません。(寺本)