モーツァルトと音楽の自由――ニコラウス・アーノンクール追悼

指揮者のなかでだれが一番心に残っているか、と問われれば、やはりニコラウス・アーノンクールと答える。彼のつむぎだす音楽は、とにかく刺激的である。クラシック音楽の世界で「刺激的」とは、ほめ言葉にはならないかもしれない。他に「革命的」とか「攻撃的」とか「論理的」とか様々に表現できようが、彼の音楽には、やはり「刺激的」という言葉が一番ふさわしい。

そのアーノンクールが、3月5日にオーストリアのザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウの自宅で死去した。1929年生まれというから、享年86歳。心から哀悼の意を表したい。昨年12月のウィーン・コンチェントゥス・ムジクスの演奏会をキャンセルしたあと引退を表明したが、こんなにも早く逝くとは思ってもいなかった。しかし死の直前まで演奏会の準備をしていたのだから、音楽家として幸せな最期だったと思う。

アーノンクールの指揮した音楽はモンテヴェルディからバルトークまで幅が広い。そのなかでとりわけ愛する作曲家は、バッハとモーツァルトだと、さまざまな場で発言している。彼の口からこの言葉が発せられるたびに、私は嬉しくなったものだ。好みが同じだという喜びは、アーノンクールとの距離をさらに縮めることとなった。

アーノンクールの音楽の刺激度は、モーツァルトに於いてより顕著であるように思う。たとえばオペラ。『コシ・ファン・トゥッテ』の面白さを知ったのは、アーノンクールのDVDからである。香り立つエロスに圧倒されたものだが、自分のブログを引用しよう。「グリエルモがドラベッラを口説き落とす、バリトンとメゾ・ソプラノの二重唱の場面など、音楽は濃密な官能に満たされ、これ以上先に進められるのだろうかと観るものを惑乱させるほどの危うさである」(2006年12月10日)。

次の引用は2006年のザルツブルク音楽祭での『フィガロの結婚』第2幕に関して。「ケルビーノのアリア「恋とは何かを知るご婦人方」には、伯爵夫人やスザンナならずとも、男の私でさえ、恍惚の境地にひき込まれてしまう。アーノンクールは、もう、音楽の流れなどにこだわらない。少年ケルビーノの、女性に対する憧れや欲望、満たされない想いなどが、尽きぬ泉のように溢れ出、渦巻き、ときに行き場を失う。ケルビーノのクリスティーネ・シェーファーが素晴らしい」(2007年10月29日)。

アーノンクールの音楽は、聴く者の心に、そして身体に、直接訴えかける。18世紀の古い音楽が、21世紀に生きる私たちの身体に沁みわたり、心は愉悦に満たされる。その「刺激性」は、どうやら「音楽の自由」に由来するらしいことが分かってきた。昨10日の深夜(11日の早朝)、NHKBSプレミアムでアーノンクール追悼の番組があったが、前半はモーツァルトのピアノ協奏曲17・24番の録音風景であった。ラン・ラン相手のそのドキュメンタリーは、アーノンクールの音楽の秘密を解くカギに満ちていた。

オーケストラはウィーン・フィル。ラン・ランはモーツァルトははじめての録音だという。名手ラン・ランにして「怖い」と言わしめるほどモーツァルトは難しい。弾くにはやさしそうな楽譜の奥にあるモーツァルトの神髄を、アーノンクールはラン・ランに伝えようとする。歴史的背景はもちろん、当時のピアノの構造、モーツァルトの手紙、はては彼の家庭の事情にも通じていて、飼っていたホシムクドリの影響までも!

録音の過程で、プロデューサーがダメを出す。ある部分のソロとオケが合っていない、と。アーノンクールは意に介さない。多少の不揃いは問題ないというのだ。音楽における真の自由の範囲内であり、逆に音が均一に聞こえないように心掛けているのだ、と。テンポの揺れも大きく、その危うい均衡のなかに、音楽の命が息づいている。「音が水の上で飛び跳ねているような」と、ラン・ランはアーノンクールの柔軟性を表現する。

「音楽は言葉であり、ただの音ではない」と主張するアーノンクールは、モーツァルトの喜びを、いたずら心を、悲しみを、苦しみを、思想までをも、表現しようとする。楽譜どおりに、精緻に、美しく演奏することが主流の音楽界にあって、アーノンクールは常に異端児であった。カール・ベームを激怒させたというアーノンクールのモーツァルトは、「全体小説」ならぬ「全体音楽」として、これからも輝き続けるであろう。

2016年4月11日 NHKBSプレミアムで放映
ドキュメンタリー「ミッション・モーツァルト」

2016年4月11日 j-mosa