中国現代史を証言する――胡傑のドキュメンタリー映画
かつてはほとんど関心がなかったスポーツ中継をよく観るようになった。テニス、サッカー、野球、相撲などである。歳を重ねて自由な時間が増えたという単純な理由もあるけれど、スポーツマンの常人ならざるパワーには圧倒される。同じ人間でありながら、彼我の能力のあまりの落差に愕然とし、感嘆する。しかしなによりも、スポーツは現在進行形のドキュメンタリーである。人間のドラマが凝縮されている。
スポーツに対してと同じように、ドキュメンタリー作品への関心も高かったとはいえない。悲惨な現実をリアルに眼前に突きつけられることに、いささか抵抗があったようでもある。映画にせよ、文学にせよ、虚構というフィルターを通すことによって、より思考が深められるのではないかと、ずっと考えてきた。こんな偏見を見事に打ち砕いてくれたのが、中国のドキュメンタリー映画作家、胡傑氏である。
5月24日の専修大学での『星火』上映会に参加したのは、まったくの偶然だった。友人が誘ってくれなければ、胡傑という名前を知ることはなかっただろうし、ドキュメンタリー映画の可能性に思いを致すこともなかっただろう。2時間の映像が、1冊の本を読むこと以上に歴史を語ってくれる。事件の当事者が歴史の現場で証言することは、彼を取り巻く風景もあいまって、観る者の思考のみではなく、心にも訴えかける。
1960年、甘粛省の蘭州大学の教員と学生は、「星火」という雑誌を発行して、「大躍進政策」下の地方の農村の実態を党上層部に知らせようとした。映画『星火』は現在の彼らにインタビューすることで、当時の農村の実態や知識人の動きを、生々しく再現する。
「道ばた、木の下、畑のなか、至るところに死体がごろごろしている。いっぽう政府の広報は、大増産、大豊作だという」。いったいどうなっている! 矛盾を解決したいという人間としてのまっとうな思いが、雑誌「星火」に結実する。しかし、社会を良くしたいというその行動が、「右派」とみなされるのだ。
40名余が罪に問われ、中心人物2人は死刑に処される。右派とは資本主義に走る者ではなく、共産党の政策を批判する者を指す言葉なのだ(私はこの言葉の意味をはじめて理解した)。すでに老境に達した彼らの激しい憤りは、観る者に歴史の見直しを迫る。5月28日に上映予定の、文化大革命をテーマとしたドキュメンタリーも観たいと、私は強く思った。
私が大学時代を送った1960年代末、社会変革を志向する若者たちにとって、中国の文化大革命はひとつの希望だった。四日市の大気汚染、水俣病、イタイイタイ病などの公害がつぎつぎに明らかになり、資本主義経済のひずみが喧伝されていた。いっぽう、社会主義国のソ連は、1968年、民主化を求めるチェコに武力侵攻する。
ソ連型社会主義に絶望する若者たちは、文化大革命という中国社会主義の実験に、新しい未来を見たのだった。インテリ批判も、学生の農村への下放も、「貧困のユートピア」への一里塚と理解した。私が当時アルバイトをしていた某出版社の春闘でも、「造反有理」「毛沢東万歳」と大書された看板が、堂々と立てかけられていたものだ。
1966年8月、北京師範大学付属高校の女性副校長が、同僚の讒訴がもとで紅衛兵に殺害される。文革による最初の犠牲者といわれており、『私が死んでも』はその副校長の夫へのインタビューを中心に構成されている。彼は妻が殺害された翌日にカメラを購入して、その後の顛末をフィルムに収めた。
インタビューの間に挿入されるこれら数々の写真も、貴重な歴史的資料である。殺害された妻の死体には殴打のあとが痛々しく、虐殺されたことが明白である。部屋の至るところには学生による落書きがあり、彼ら一家への非難の激しさを物語る。
夫は妻の死体をフィルムに収めただけではなく、妻が虐殺されたときに身に着けていたあらゆる物を残した。使い古しの鞄のなかに封印されていたそれらの遺物が、ひとつひとつ取り出される。映像の迫力というしかない。時計やバッジ、口に詰められていた綿やガーゼ、血痕と糞便にまみれた衣服! 40年を経てなお生き続ける亡き妻への痛恨の思いは、この映画を撮る胡傑監督の歴史家魂と激しく共振する。
このドキュメンタリーは、文革の暗部、その暴力性を容赦なく暴いている。毛沢東夫人の江青は暴力を公然と肯定し、暴力が政府公認のものとなる。造反有理。以降、数多くの知識人が紅衛兵の手で殺されることになるのだが、北京師範大学付属高校副校長虐殺事件は、文革のその後の暗い歴史を暗示しているようである。
文革は、「大躍進政策」の失敗で権力を失った毛沢東の、若者と人民解放軍を背景にした、権力奪還闘争だった。文革の10年間は中国を荒廃させ、分けても学問の停滞を招いた。このように文革は総括され、このドキュメンタリーもその評価を裏付けるものだとも考えられる。しかしことはそう単純ではない。
現代中国は、世界を牽引する経済大国に成長した。しかし、貧富の差、都市と農村の格差、大気汚染、食料汚染、いずれも資本主義国と異なるところがない。言論の自由がない分、さらに過酷な国ではないのか。なぜ中国はこのような国になってしまったのか。毛沢東と文革をきちんと総括しなかったことにも原因があると、終映後、胡傑監督は語った。現代の中国に於いて、毛沢東を語ることも、文革を語ることも、タブーに等しいという。
胡傑監督にとって、文化大革命は生涯のテーマなのだ。『私が死んでも』は一面的ではないかとの懸念も自ら表明した。紅衛兵であった人たちの発言がないからである。彼らすべてからインタビューを断られたらしいが、文革の全体像を求めて、さらに取材を続けたいという。胡傑さんには、映像作家の芸術性と、歴史家としての思想性が、みごとに同居している。常に当局の監視下にあるという胡傑さんだが、その歴史再発見の旅が無事に進められることを、心から祈りたい。
2016年5月24日
『星火』
5月28日
『私が死んでも』
いずれも専修大学神田校舎にて
2016年6月16日 j-mosa