ムラサキツユクサの咲く季節になった。ごく最近探し物をしていて、表紙も欠けた今から39年前もの昔(1982年)のシンポジウム「今、体外受精を問う」の集会資料が出てきた。このシンポを企画・開催したのは、日本で初めての体外受精による出産が取りざたされていた頃のこと。地球規模の環境破壊が身体へと移る、いわば外側から内側へと破壊の手が拡がっていく、それを象徴する出来事のように思えたからだった。当時は地球の友でボランティアスタッフをしていて、青木やよひさんのエコフェミに触れ、このシンポにもパネラーとして協力していただいたものだった。

集会シンポ風景

シンポで発言する青木やよひさん

しかし、そのときの青木さんの発言がどのようなものだったかは思いだせないのだが、ここでは39年ぶりに再び目にした高木仁三郎さん(原子力資料情報室主宰)からのメッセージを共有したい。

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―「人間の生命に科学が手を触れるべきでないと考える。なぜならば、科学技術によって、生命が管理されるという状況は、テクノファシズムを招き寄せることだからである。テクノファシズムとは、安全であるかどうかの論議を別におくとしても、あるいは仮に安全であるとしても、そのことにより専門家による科学技術を通しての民衆への支配・管理がなされてゆく状況を意味する。

又、これらの技術は権力の側からの一方的になされるのではなく、ユージェニックなものを望む気持ちが、民衆の側、市民の側にもあるという事実にも目を向けてゆかなくてはならないだろう。たとえば、便利さ、安易さをといった内側にある欲求から、これらの制度、技術を受け入れていってしまう事によって目にはみえない抑圧の渦の中へと、自らが引き寄せられていってしまうという事実である。

以上のことは、私達が取り組んできた反原発も運動の体験・経験を通じてはっきりと私自身の中に認識されてきている事である」―高木仁三郎

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シンポ資料 メッセージ

シンポの開催日も覚えていないのだが、ムラサキツユクサの咲く季節だったことは確かだ。この花は、放射線を浴びると、おしべの毛の色が変わるということで、当時は反原発を象徴する花だったし、各地に「ムラサキツユクサ」の名前がつく反原発市民グループがあったと記憶している。面識もないのにメッセージを下さったお礼にと、庭に咲いたこの花を摘み、原子力資料情報室の扉を叩くと高木さんは1人で在席されていたが「こんなところですが、よろしければお入り下さい」と言われたことはずっと忘れられなかった。

高木さんは反原発運動の先頭にたち、その姿を遠望したものだったが、あの東日本大震災―福島原発事故が起きる3年前、まだ62歳の若さで逝去された。ムラサキツユクサが咲くこの季節、その人柄を偲びつつ、あれから停まることなく進んだ、生命操作の諸技術(遺伝子操作・ゲノム編集などなど)、その行きつく先を、生き物たちや私たちの暮らしへの浸食に憂いがつのる。

そしてコロナワクチンのニュース氾濫の今、このメッセージを再び目にしたことの意味に、胸を突かれる思いでもある。

ムラサキツユクサの花

PS 1982年開催のシンポジウム「今、体外受精を問う」は、■DNA研究会・フォーラム・人類の希望・地球の友エコフェミニズム研究会の有志が開催。■パネリストは、里深文彦相模女子大学教授 主著に「等身大の科学」(日本ブリタニカ) 野辺明子先天性四肢障害児父母の会 著書に「どうして指がないの」(技術と人間) 福本英子DNA問題研所属ジャーナリスト 主著に「危機の遺伝子」(技術と人間) 青木やよひ 女性問題評論家主著に「女性その性の神話」(オリジン出版センター)■メッセージ 高木仁三郎(原子力資料情報室世話人)槌田敦(理化学研究所研究員)西尾昇(いのちのために行動する会代表)上野博正(上野めだか診療所・産科・精神科医)佐藤エミ子(希少難病者全国連合会会長)柴谷篤弘(分子生物学者 在オーストラリア)