毎年、初夏になると、庭の片隅に「蛇いちご」の赤い実が目にとまる。

庭の蛇いちご

見つけては採り、薬用アルコール入りの瓶に入れれば、赤色は数日で脱色して茶色になる。庭に蚊が湧く季節になり、刺されても、この茶の液をたらすと、かゆみがスーとどこかに行った気分になる。「蚊」ではなく「蜂」に刺されたときには、刺された指ごと、この「蛇いちご瓶」につっこんだら、指はパンパンに腫れたが、不思議と痛みがなかった。

蛇いちご入り瓶

この蛇いちごは「虫さされに効くから」と西尾昇さんから頂き、我が庭に根付いてほぼ40年が過ぎた。西尾昇さんはキリスト教社会運動家の賀川豊彦に師事、戦前にキリスト者となり獄中体験を経て、戦後は世田谷の共産党区議に、後、ソ蓮の核実験に抗議し党除名となった。以後、1986年に亡くなるまで西尾さんは反暴力を掲げ、信念ある市民運動家でエコロジストだった。ガンジーの非暴力実力運動の思想に共鳴、フランスでコミューン(ラルシュ共同体)を営むランザ・デル・ヴァストの日本招聘、丸木位里・俊さん原爆の図のフランス巡回展など、フランスと日本の運動の橋渡し・紹介などもされていた。私は、エコヴィーという部族を称し、財布ひとつ、テントで暮らすグループがフランスから来日、交流会をし、それ以来のご縁だった。

フランスから来日したエコヴィ―の人たちとの交流会(1981年 西荻窪・ホビット村)

フランスから来日したエコヴィ―の人たちとの交流会(1981年 西荻窪・ホビット村)

西尾さんが青木やよひさんと話がしたいとのことなので、やよひさんにお願いすると「それでは私がご自宅に伺いましょう」と快く応じてくださった。そのときの会話はもう覚えていないのだが、西尾さんの、縄文時代の人たちの暮らしやその心を今にというような発言に、青木さんはちょっと驚かれたようで「私は1960年代位の日本の暮らしに戻しては」と述べられたのだけは今も耳に残っている。