出稼ぎ、と聞くと自動的に反応してしまうのは、やはり育った時代と土地柄のせいだろうか。中卒の集団就職列車の光景がふと思い浮かんでしまう。そういう世代の原風景を見透かすかのように、パンフレットには、幼いと言っていいほどの娘の疲れて無防備に眠る顔と、その子の将来を案じるかのような、姉の憂いに満ちた表情がアップされている。

眠る娘の行きつく先は縫製工場がひしめく都会、つまり日本の安価な服飾製品を作っている場所だ。今、わたし(たち)の身を包んでいる衣服(の一部)を縫い上げてくれたのは彼女かも知れない。そう思うと、かつて日本の支配地域として日本の近代化のために利用された過去がそっくりそのまま持続しているような感覚を覚える。映画のパンフレットはその感覚をさらに後押しする。

彼ら、彼女らが故郷を遠く離れた都会の縫製工場に出稼ぎに行くこと、それを「苦い銭を稼ぎに行く」という。一日フルに働きに働いて、いったいどれだけの稼ぎになるのだろうか? アイロン掛けは、日本円にして時給が270~300円だから、一日2500円ほどなのだろうか。ある若者は、要領の悪い自分は一日70元(ほぼ1200円)しか稼げない、と嘆く。これが苦い銭の相場らしい。

いうまでもなく、いかに苦かろうと、ともかく銭を稼ぎに故郷を離れなければならない現実がある。監督のワン・ビンには、同じ雲南省の山間部に暮らす貧しい三姉妹を扱った『三姉妹』がある。母親は家を飛び出し、父親は出稼ぎ、そして娘三人がボロボロの布団に寄り添って寝る、そんな暮らしである。子供たちは出稼ぎに行ける歳ではない。いずれ、苦い銭を稼ぎに行くことになるだろう。

ならば、出稼ぎの彼ら、彼女らは辛い労働に懸命に耐え抜いてゆくかというと、皆が皆そういうわけでもなさそうだ。パンフレットに映った少女の弟は、都会の労働に耐えきれず、すごすごと故郷へと帰ってゆく。最も印象に残ったシーンのひとつは、タクシーの窓越しに都会の光景を眺める、その少年のまなざしである。自責の念を抱え、おそらく二度と目にすることのない雑踏の風景を目に焼き付けようとしているかのようだ。きっと少年は、きつい労働を覚悟しながらも、村では味わえない楽しさを夢見てやって来ただろう。これから帰る村では、自分のふがいなさを白眼視する人々のいることを、少年は想像せずにはいられまい。パンフレットの右下の写真が少年その人である。

この少年のもろさと対照的に、夫と夫婦喧嘩をした若妻のしぶとさは見ものだ。何しろその夫婦げんかの凄まじさときたら、映画を観ているこちらの腰が引けるほどの大喧嘩。日本なら警察沙汰になりそうで、どのような破局の形を迎えるだろうか… と思っていたら、映画の最後はこの夫婦が何食わぬ顔してよりを戻している姿で、唖然としてしまった。

これぞ、中国!

むさしまる