台湾の映画監督侯孝賢(ホー・シャオシェン)の作品中でいちばんのお勧めは、と問われたら、ためらうことなく「非情城市」と答える。今まで観た台湾映画のなかでは屈指のものだ。けれども好きな昨品は、と聞かれたら、たぶん「戀々風塵」とつぶやくだろう。主演女優シン・シユウフェンのたたずまいに心揺さぶられるのが第一の理由だ。

女優シン・シユウフェンは「童年往時」にも「ナイルの娘」にも「非情城市」にも登場する。けれども、わたしにとっての彼女の魅力は「戀々風塵」のアフン役に尽きる。そりゃあなるほど、「非情城市」で演じるヒロミは柔らかさと落ち着きを感じさせて、ほんわりと穏やかな気持ちになる。けれどアフン役のぎこちなさの残るあれやこれやの表情には、田舎から都会に出てきた若者の世慣れぬうぶさと不安が立ちこめていて、思わず寄り添いたくなるような共感を呼ぶ。

その不安を切り取ったワンショットが写真の彼女だ。場所は首都台北。一年早く上京した近所の先輩アワンが出迎えにくるはずの駅のプラットホームに、アワンの姿をさがす彼女の制服姿がある。手にもつ袋には、アワンの祖父が栽培したサツマイモが入っているはずだ。クリッとした瞳の田舎娘まるだし。どうも素人っぽい。それもそのはず、演じる彼女は台北市内で侯孝賢監督に映画出演を誘われてからさして時間がたっていない。この監督のすごさは、そんな女優の素人臭さを生かして、幼馴染の相手への言葉にできぬ、都会生活の寂しさの入り混じった慕情を、控えめに表現しているところだろう。

その控えめな表現の間接的映像の見事さが、理由の第二になる。その代表的シーンは、仕立て屋に勤めたアフンに、しばらくぶりにアワンが訪ねてくる場面だ。ちょうど田舎から妹の手紙がアフンに届く。寂しくて泣き暮らしていたこのアワンに笑顔が戻る。そして、読んだ手紙をアワンに渡す。黙読するアワン。テーマ音楽が流れる。そこから映る映像は、台北の商店の看板と、そのうえに広がる、電線越しのアオ・ゾラ(青空)だ!

この青空を、アフンの心に浮かぶ、そしてそれに思いを馳せるアワンの、心の風景といわずして何といおうか。

「青春四部作」と称される、こんな映像を撮った侯孝賢のボックスを貸してくれたのは、今は亡き尾河直哉である。

謝謝、尾河。

むさしまる