おいしい本が読みたい 第54話 昭和古本屋ド根性道中記

植民地時代の古本屋_cover-帯_05k.indd

とある出版社の出版案内のなかに『石炭挽歌』、『ストリップ劇場のある街、あった街』、『ヤジと公安』といった昭和的タイトルと並んで、『植民地時代の古本屋たち』(増補新装版、2025年10月、寿郎社)があった。副題には、「樺太・台湾・朝鮮・中華民国――空白の庶民史」とある。今どきこんな分野をさぐる人がいるのか、それを出版する会社があるのか。著者は沖田信悦、昭和21年、新潟県東蒲原郡鹿瀬町向鹿瀬の昭和電工社宅にて生まれそだった。

とっさに、わたしの頭のなかで、旧昭和電工鹿瀬工場➡新潟水俣病➡チッソ水俣工場➡熊本水俣病➡チッソの興南工場(植民地時代の朝鮮半島)➡興南病、と我田引水的な類推が走り、植民地時代の同業者にまなざしを注ぐ筆者の気持ちを拡大解釈し始めた。で、早速入手してページをめくる。案にたがわず、めっぽう面白い。

著者沖田は一介の古書店主で、研究者ではない。それゆえか、帝国主義や植民地支配といったある種の反発を誘うような表現も、植民地情勢の解釈・分析もほとんど見当たらない。筆のめざすところは、もっぱら外地の古書店のたたずまいを描くことにある。その姿勢がじつに心地よい。もっとも、筆者だけの力ではない(ただし、広範な同業者の協力を引きだしたのは筆者のなせる力である)。

たとえば、増補資料にある「樺太 豊原市の本屋さんの地図」に付された手書きの説明文には、「昭和十一年頃の豊原市街図を利用し、豊原一校、豊原中学卒の丸山達也氏が諸氏の記憶を正しながら作成したものである」と記されている。つまりは豊原の過去を生きた老人たちの合作なのである。

植民地時代の地図と列車時刻表も載っている。「朝鮮及滿州」鉄道地図のすこし先に「朝鮮鐡道局、京釜線及京義線」の時刻表があり、下関・釜山・京城・安東間(連絡船を含む)の料金と各駅の発着時刻が記されている。安東の先にはさらに、奉天、新京、北京と駅名が続く。この文字列だけでも旧日本帝国の広大な占領地が目のまえに浮かぶ。

このほか、屑物問屋の軒下に荒縄でしばった大量の本を調べたら、朝鮮総督府の××課による払い下げ品だったという、植民地行政の舞台裏が透けて見える逸話や、あるいは敗戦後ソ連兵が進駐したとき、接収先の民家の貴重な蔵書を焚きつけがわりにしたという、本好きには泣きたくなるような話もある。

さて増補資料の圧巻といえば、巻末に付された宮田四郎の「探書旅行」にとどめを刺す。「沖繩から臺灣へ ――終戰前の思い出」、「探書旅行 ――支那から滿洲へ」、「探書旅行 ――樺太の巻」、これら三話からなる旅行記がそれだ。このうち「探書旅行 ――支那から滿洲へ」は台湾の高雄から福建州の福州、上海、青島、天津、大連から満州の新京、ハルピンさらに朝鮮半島の元山、京城(ソウル)、平壌(ピョンヤン)、大邱、釜山(プサン)そして下関と、一大植民地周遊ツアーの趣である。しかも、その発端というのが、高雄で同宿した日本人に誘われて、ノコノコ連れだって船に乗ったというのだから、風来坊もいいとこだ。

時節は昭和十年という日中戦争がはじまる前で、福州あたりは上海事件のため不穏な空気だけれども、そのほかの土地では比較的のんびりした雰囲気が漂っている。なかでも、ハルピンの旅館でロシア娘の裸踊りを上映した折、内地の中学校教員団が目じりを下げてニヤついている図などは、時代は変われど、という感しきり。

これが終戦前の台湾と樺太が舞台となると別世界だが、びっくりしたのは、そんなせっぱつまった時期に古本漁りに出かける話だ。とりわけ、米軍潜水艦の魚雷によって「日本軍閥の飽くなき侵略主義の犠牲となって」海の藻屑と消える危険をおかして厳寒の樺太へと渡るときなど、宮田氏の古本屋魂はなんともすさまじい。さらに、北海道に戻って国後島へと渡り、本屋もない島の小学校の職員室で先生方の不要の古本を買いあさって旅費の足しにするそのしぶとさ! 読んでいて思わず拍手した。

むさしまる