おいしい本が読みたい 第55話 どぶ板選挙は今や…

いつものように「私」は散歩にでた。と、遠くに「公僕 和田次郎太」なる幟が道端の自転車の荷台に結わえられて風になびいている。近づいてみると、三十前後の若者がそばの側溝をせっせとさらっているではないか。不思議に思って話しかけてみると、その若者はデコボコの公道と葉っぱや泥がつまった側溝が我慢ならず日々その掃除に精をだしているのだと臆面もなくいう。

金達寿(キム・タルス)の『公僕異聞』(〈在日〉文学全集第一巻、勉誠出版、2006)はこんなふうに始まる。場所は埼玉県に近い東京のN区、時代は1960年前後。和田次郎太は、さる党の重鎮が述べた「酬いられることのない人民への献身」に感動して党員になろうとしたのだが、地区の党員たちの高踏的理論に違和感を覚え、自分独自のやり方で行動しようと志したらしい。

散歩のたびに会ううち、和田は2年後の区議会議員選挙に立候補するつもりだと白状する。ただ「私」は在日の作家で、選挙権がない。そのことを知ると和田はむしろ安心し、あげくに助言を求めてくる始末だ。こうして二人の交流が始まる。それから和田の作業範囲は二年のあいだに少しずつ広がり、それにつれて彼の名は道路直しの「公僕さん」として定着してゆく。もっとも、ビラも選挙運動も何ひとつなし。

で、いよいよ告示。なのにポスターは「N区議会議員候補者 和田次郎太」、選挙公報には「道路をきれいにすること」これだけ。演説会は金がかかるので開かず、他候補の演説会を聞いて回り、そのうえ「公僕 和田次郎太」の幟を立てた自転車を演説会場の入り口にとめておく。会を終わった人々は自転車の横に立ってニコニコしている和田を目にとめ話しかけたりする。当然怒った会場係に無理やり追い払われるが、それがまた逆に同情を誘うという按配だ。

さて投票日前日、酒を手土産に「私」が和田宅を訪れると、農家の納屋を改装したその家の前に「N区議会議員候補者/和田次郎太事務所」の立看が目立つだけで、家には和田夫妻がぼんやりとしている。本人に票読みを尋ねると、「6,7百票は固い」などとほざく。1400票が最低ラインなのに…。それじゃ落選じゃないか、と問い詰めれば、「おちたらおちたで、また出なおします」。保育園で働く細君はと見やれば、「目標があった方が張り合いがあっていい。生活は二人だけだからなんとかなる」と、この夫にしてこの妻あり。

ふたを開けてみると、あにはからんや、和田次郎太は1890票も獲得して堂々たる当選である。しかし、流行作家でもない「私」はどこか釈然としない。市役所の庶務課議事係たる和田の給料は1万2千円、勤続十年の係長の給料が2万ちょいのご時世に、区議会議員の報酬は10万以上に達する。なにやら和田に一杯食わされた気がしないでもない。ところが、わだかまりを抱えたまま数日後散歩にでると、どうしたことか、和田が相変わらず例の幟を立てた自転車を道路においてせっせと道路をならしている。聞けば、「クセになってじっとしてられない。だから続ける」だと……

いかにも型通りのハッピーエンド。いかにも昭和らしい時間の流れ。そんな物語をこうして長々と紹介してきたのは、今や風前の灯火となってしまったどぶ板選挙、和田式ドブさらい選挙の顛末を文字におきかえながら、メディアを駆使した金権選挙のかたき討ちをしたかったからである。

なるほど和田次郎太の当選はフィクションだ。けれども、わたしは読みながら朴訥な和田次郎太の体温を実感し、架空の勝利によって好戦的な党派の敗北を幻視することで、ひさびさに留飲を下げたのであった。

むさしまる