〈「生殖革命」と人間の未来2〉

パネリスト:江原由美子、長沖暁子、中嶋公子
司会:石田久仁子

10月30日、知と文明のフォーラム、日本女子大学女性キャリア研究所、日本女子大学人間社会学部文化学科の共催による標記シンポジウムが東京・目白の日本女子大に於いて開催された。司会者として参加させていただいた私にとって、それはとても刺激的な2日間だった。

●第一部

最初の報告は首都大学東京の江原由美子さんによる「フェミニズムと生殖革命—−—−その問題点と展望」と題するもので、女性の自己決定権と生殖技術の進展をめぐる全体的な見取り図が提示された。近代の人権思想が生み出した自己決定権は、他者の身体を手段化するこの「生殖革命」を前に、再考を迫られる。そこでは自己であり他者でもある胎児の思想は欠落している。女性の身体の自己決定権は他者の身体をコントロールしないようにするわれわれの義務としての「自己決定権の尊重」に基づかなければならない。最後に江原さんは、代理懐胎などの生殖技術を利用して子どもをもつことは、生殖への社会的操作となるから、青木さんの自己決定権には含まれない、と述べて、どこからが社会的操作なのかと問い、青木さんが提唱された「生殖倫理」への議論へとつなげた。

続いて日仏女性研究学会代表の中嶋公子さんが「女性の身体の自己決定権と人工生殖技術~フランスの代理懐胎をめぐる論争を中心に~」について報告。現在、フランスでは生命倫理法改正が準備されているが、その最大の争点の一つ、代理懐胎の合法化をめぐる議論の紹介を通して、法と倫理の関係、女性の自己決定権と人工生殖技術の関係が考察され、「生殖倫理をどうつくるか」という青木さんの問題提起へと向かう報告であった。

最後の報告者は慶応大学の長沖暁子さん。報告は、発生学を専門とする生物学者とフェミニズム運動家としての二つの視点が交差する場からのもので、キーワードは変革だった。

これまでの生命観を変えるには当事者の語りから考えるしかない。不妊の女たちの語りが示すのは「不妊治療でこどもを得ても、不妊は解決しない」ことだ。また生殖医療は不妊の男女、配偶子ドナー、代理母、子ども、子孫へと当事者を拡大する。生まれてくる子どもへ視点を向けるとき、生殖医療におけるインフォームド・コンセントや自己決定の限界は明らかになる。子どもも含めたすべての当事者の語りの場をつくり経験を言語化すれば、皆で共有できる経験・知識となる。それをもとに他者との関係の中で決定が行われる社会をつくることが重要で、この社会の変化が科学の枠組みを変えるのだ、と長沖さんは主張した。

●第2部

最初に「知と文明のフォーラム」を主宰する北沢方邦さんが「青木がこの場にいたらお話ししただろうこと」をご自身の見解も交えて次のように話された。「青木のフェミニズム」が自然との共生とうちなる自然としての身体の二つの上に立つもので、「女性の身体性の根本にある生殖は青木の問題意識の中心」を占めていた。「生殖革命」は自然の状態ではありえない生命系への人工的操作であり、核エネルギー開発と同様に、これまでの諸概念の枠組みを越える技術開発である。この新しい技術は生物学的にも社会的にも人間のあり方を変えるだけでなく、生態系を揺るがす。人類の福祉に対立するその進展に歯止めをかけるための生殖倫理を緊急に確立する必要がある。

二人目のコメンテーター、和泉和恵日本女子大学専任講師からは、「理論、制度、当時者という三つの視点からの報告」を踏まえて、問題が提起された。最期にご自身の研究テーマである、里親や養子などの血縁でない親子関係と比較し、生殖補助医療で生まれた子どもの家族と共通する問題の構図があると指摘、その例として出自の隠蔽問題や当時者としての子どもの語りがようやく注目がされ出したことなどが挙げられた。(石田)