「身体性」とはなにか?――近代文明が忘れてきたもの
講師:橋本宙八、北沢方邦、田中亮二、鈴木雅子
年末も押し詰まった22日から23日にわたって、知と文明のフォーラムの21回目のセミナー〈「身体性」とはなにか?〉がヴィラ・マーヤにて行われた。日程のせいもあり集った人たちは11人と多くはなかったが、身体を動かすのに十分なスペースがとれたことなど、少人数の良さが発揮されたセミナーだったように思う。
「身体性」の欠如こそ袋小路に陥った近代文明の根本的誤りである、とする北沢方邦先生の序論からセミナーは開始された。身体を通じて大自然や宇宙と交流し結びつくはずの人間の思考が、その身体をないがしろにしてきたがゆえに、真の認識から遠ざかってしまった、というのが先生の根本の考え方である。また、主観と客観の乖離をいかに克服するか、この哲学の永遠のテーマを解決する鍵も「身体性」という概念には込められているという。
自然を人間の外に置き、収奪の対象としか見てこなかった近代主流の思想と、宇宙・自然と人間は一体であるとする、たとえば古代インドのヴェーダーンタ哲学や古代中国の道教哲学とは、なんと懸け隔たっていることだろう。後者の「身体性」に満ちた一元論は、スピノーザ、ルソー、カント、ゲーテ、ベートーヴェンの思想にもあり、われわれはここから出発して、新しい生き方を模索していく他はないようだ。
今セミナーのメインの報告者は、日本におけるマクロビオティック実践の第一人者、橋本宙八氏である。「マクロビオス(偉大な生命)」という古代ギリシャ語を語源とするマクロビオティックは、一言でいうなら「食物による健康・長寿法」。しかしここでいう「食」とは環境も含めた広義の概念で、人間の身体の健康ばかりではなく、社会の健康までも含むらしい。そして「日本の伝統的食養法」と老子の世界観である「陰陽論」が実践の核になるという。
「旬を食べる」というのは日本料理の基本である。それに「身土不二(しんどふじ)」、即ち身体と土(環境)の調和という仏教の教えを合わせて考えると、食が自然や宇宙と一体のものであることがよく分かる。それと「一物全体(いちもつぜんたい)」という考え方も感覚的に理解できる。ひとつの食物には自然の持つエネルギーがバランスよく含まれている。ゆえに食物は出来る限り全体を丸ごと食べるべしというわけだ。
西欧の「粉食文化」に対して東洋を「粒食文化」と位置付けるなど話は文明論、さらには宗教論にまで及び聞きごたえがあった。マクロビオティックに基づく具体的な料理の話も聞きたかったという声もあったが、それはまたの機会にお願いすることにしよう。
2日目は、伊豆高原で治療院を開業されている田中亮二氏による「東洋医学」、舞踊家の鈴木雅子氏による「ダンスの基本的姿勢」、北沢先生によるヨーガと、実際に身体に触れ、また動かすという、ワークショップ形式のセミナーであった。
人間の身体は自然の一部であり、宇宙と一体となったものであるという「心身一如」の生命観こそが東洋医学の基本だという。このことは、人間の身体に張り巡らされた12の経路、またその各所に存在する360もの経穴(ツボ)の話を聞き、またツボに触れられることで、なんとなく実感できた。経路・経穴を通して人間の身体を循環する気のエネルギーは、宇宙空間をある摂理の下に行き交うエネルギーと等しいのではないかという実感である。
背筋を伸ばし、肛門を締め、ふくらはぎを合わせて脚を少し開く、というダンスの基本姿勢も、宇宙と一体のものではないか。頭は天から引っ張り上げられ、足は地に引きずり込まれる。この姿勢から一歩踏み出せばそのままダンスになる。運動神経の乏しい私でも踊れるかも! こんな錯覚を抱いたものだ。
締めはいつもの北沢先生指導のヨーガである。先生の驚異的な健康を支えているものは、間違いなく毎日1時間実践されるヨーガであろう。ポーズの一つひとつが、自然そして宇宙との一体感を表している。身体を通しての実践は、頭からだけの知識を遥かに超える。不器用にヨーガを実践しながら、こんな感慨に浸ったのだった。(森)