朝鮮人虐殺の深層――森達也『福田村事件』

「あー、なんということだ」。この一言が、観終わった直後の感想だった。罪もない人たちが、子ども含めて、9人虐殺された。殺した人たちも、決して極悪人などではない。隣近所にいる、ごく普通の人たち。そんな平凡な人たちが、ある条件におかれると豹変する。なにが怖いといって、人間ほど怖いものはない、と誰かが言ったような気がするが、本当にそう思う。

福田村(現在の野田市)事件は、1923(大正12)年9月6日に起こった。この事件が生じるには、いくつかの伏線がある。この映画は、それらを丁寧に伝えている。ひとつはもちろん関東大震災である。5日前の9月1日11時58分、関東を最大震度7.9の大地震が襲う。死者・行方不明者10万5千人の大被害を出すなか、朝鮮人、社会主義者たちが暴動を企てているとの噂が流れる。

根も葉もない流言飛語だが、それが流れる社会的背景はあった。1917年にはレーニンらによるロシア革命が起きているし、朝鮮に対する日本の圧政が顕著であった。日清戦争(1894-95)によって朝鮮の内政を牛耳り、日露戦争(1904-05)でその力を強固にした。はては1910年に併合するに至る。

朝鮮への圧迫は近代に止まらない。飛鳥時代の663年には、中大兄皇子が朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)まで2万7千人の兵を送っている。1592年から98年の文禄・慶長の役では、なんと16万人近い兵を秀吉は派遣した。いずれも失敗しているとはいえ、日本の朝鮮に対する侵略意図は明瞭である。

歴史を省みて、朝鮮の人々の間に反日感情が沸き起こるのは当然といえる。1919年3月1日には大規模な独立運動(三・一独立運動)が起こり、8千人近い死者が出る。映画では、この現状を体現するのが澤田で、彼は朝鮮で教師をしていた。朝鮮人の虐殺に間接的ではあるが関わったことを悔やみ、福田村に帰ってくる。

澤田は、朝鮮人が暴動を起こしているという噂を疑いながらも、否定できない。それは、日本人が朝鮮人に対して行っている暴虐を認識しているからである。あるいは、という疑念を捨てきれないのだ。そして、多くの日本人も、意識するしないに関わらず、日本人の行為の理不尽さを感じていたことだろう。それは、容易に朝鮮人への恐れに転化する。

日本のシベリア出兵(1918-22)に触れていることも、この映画の歴史認識の深さである。英米仏などと共に行ったロシア革命への軍事干渉であるが、他国が早々に撤退するなか、日本は最大7万2千の兵を送り、5年間もシベリアに居続けた。日露戦争で得た南満州鉄道の利権を守りたいという意図もあったことだろうが、この事実は、第2次大戦後の、57万人ものシベリア抑留に繋がったとの見方もある。

福田村で虐殺されたのは、讃岐から行商に来た薬売りの一団であった。彼らはまた被差別部落出身で、そのなかには、朝鮮人への差別をあからさまにする者がいる。人間の差別意識の構造をあぶり出して、いうにいえない悲しい場面である。

讃岐の行商の人たちの話す言葉は方言で、福田村の人たちには分かりづらい。東京で狼藉を働いている朝鮮人ではないかと疑われる。在郷軍人を中心とする自警団は追及をはじめる。「15円50銭と言ってみろ」など、人間への尊厳を欠いた態度が著しい。ひょっとして日本人かもしれないと村長は主張するが、聞き入れられない。百人を超える村人が行商の人たちを取り囲むこの場面は、緊迫感に溢れている。

「朝鮮人なら殺してもいいのか!」という行商団長の、真っ当な、しかし挑戦的な言葉から虐殺がはじまる。普通の大人しい人間が、殺人をものともしない人間に変身してしまう。「あー、なんということだ」である。自警団員8人は逮捕され実刑になるのだが、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された。

優柔不断な元教師・井浦新、きっぷのいい行商団長・永山瑛太、苦悩する村長・豊原功補、狂信的な在郷軍人・水道橋博士、いずれも好演で、ドラマとしても、まことに観ごたえ十分な映画だった。

2023年9月17日 於いてユーロスペース

2023年日本映画
監督:森達也
脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
音楽:鈴木慶一
撮影:原正
編集:洲﨑千恵子
出演:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、豊原功補、水道橋博士、柄本明、ピエール瀧。東出昌大、コムアイ、松浦祐也、木竜麻生、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ

2023年10月4日 j.mosa