死と埋葬と祈りと――パオロ・タヴィアーニ『遺灰は語る』


「私はお墓に行く必要はありません。なぜなら、両親はじめ大事な人の遺骨は全部我が家にあるんですから」。あるネット上のセミナーに参加して、こんな話を聞いた。死生学を研究されている小谷みどりさんの言葉である。青木やよひさんのように、海への散骨を希望される方も多い。昨今、葬送の形は多様になってきている。とはいえ、遺骨・遺灰の扱いはいうほど簡単ではない。夫の遺骨と一緒には埋葬しないでほしい、という女性の言葉も聞くことがある。もちろん、単なる物として見ることはできない。

もっとも、私のイギリス人の友人は、自分の遺骨は月曜日のゴミの日に出してもらえばいいと言っている。彼の両親の遺灰は、妹さんのパリの自宅にあるのだとか。イギリスの片田舎からほとんど出たことがなかった両親が、遺灰の形であれ、いまやパリにいると彼は笑っていた。

遺骨・遺灰について、あれこれ考えをめぐらすようになったひとつのきっかけは、パオロ・タヴイアーニの『遺灰は語る』を観たこともある。この映画は、イタリアの小説家ルイジ・ピランデッロの遺灰についての物語である。彼は1934年、ノーベル文学賞を受賞した。そしてその2年後に亡くなっている。自らの遺志を明確に記した遺書を残して。

その遺書は、遺灰の扱いにも触れている。火葬して、直ちに海に撒くこと、それが叶わないなら、生まれ故郷シチリアの岩石のなかに閉じ込めてくれ、と。遺体は裸のまま布にくるんで、一番粗末な霊柩車に乗せること、とも書かれていて、ピランデッロは、自らの死を大仰に扱われることを拒んでいた。

激怒したのはムッソリーニである。彼は、ノーベル文学賞受賞者の、盛大なファシスト式葬儀を目論んでいたのだ。しかし、ピランデッロ本人の遺志を無視するわけにはいかない。たったひと言、「愚か者め!」と叫んだ。とはいうものの、ピランデッロの遺灰は、彼の遺言どおりには運ばなかった。10年の間、ローマの墓地に安置されたのだ。

戦後、ピランデッロの遺志を実現すべく、シチリアのアグリジェント市から特使が派遣される。遺灰を引き取り、故郷の地に埋葬するためである。映画はその顚末を、さまざまなエピソードを交えて、ユーモラスに描いていく。

この映画は、ピランデッロの小説世界そのものである。人間がかかわる以上、ものごとは思うようには捗らない。アメリカ空軍の飛行機で運んでもらうつもりが、遺灰と一緒では嫌だという同乗者たちが多くて、まずは断念。汽車のなかでは思いがけず遺灰が消える。その「事件」を解決してやっと落ち着いたシチリアでも、遺灰を移し替える壺が小さ過ぎたり、葬儀用の棺が子ども用だったり。

紆余曲折を経て、シチリアの原野に、ピランデッロの遺志とは遠く離れた立派な墓が建てられる。壺から溢れた一握りの遺灰が、心ある人の手でシチリアの海に撒かれたことで、ピランデッロの心は少しは癒されただろうか。

モノクロームの映像がとても美しいし、全編に流れる音楽も切なく懐かしい。そして驚かされるのは、遺灰を海に撒くシーンである。モノクロームからカラーに少しずつ変容するのだ。このあと、ピランデッロ最後の作品『釘』の短編映像がそのままカラーで挿入される。若者の理由なき殺人と、被害者の少女を悼む加害者の彼。粗末な墓に祈る彼は、少しずつ老いていく。

愚かで、滑稽で、不可解な人間の、死と埋葬と祈り。92歳パオロ・ダヴィアーニの、斬新で、意欲あふれる傑作である。

2023年10月28日 於いて早稲田松竹

2022年イタリア映画

監督・脚本:パオロ・タヴィアーニ
音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
撮影:パオロ・カルネーラ、シモーネ・ザンパーニ
編集:ロベルト・ペルピニャーニ
出演:ファブリツィオ・フェッラカーネ、マッテオ・ピッティルーティ、ロベルト・エルリツカ

2023年12月9日 j.mosa