生活のなかの「魔法」――アキ・カウリスマキ『枯れ葉』

映画が終わって階段を降りていたら、誰かが「枯葉」を口ずさんでいる。中年の主人公たちの恋がやっと実って、ふたりが広い公園を去っていく場面に流れていた有名なシャンソンである。もう夏を過ぎたその恋人たちの後ろ姿がまだ脳裏に漂っていた私も、心のなかでその歌をうたっていた。映画のタイトルも『枯れ葉』。厳しい冬を目前にして、静かに赤い枯れ葉が舞い落ちる。

アキ・カウリスマキは、小津安二郎を尊敬しているという。絵画的で静的な映像、ことさらな演技をしない俳優たち、控えめな色彩のなかでとりわけ目立つ赤。私には、ほとんど小津の作品を観るような思いの90分間であった。

カウリスマキの映画は、呼吸のリズムにあっている。場面転換に、静かなリズムがあるのだ。これは、小津の作品にもいえて、観ていて疲れない。日常の感覚で物語の世界に入っていける。

さて、この映画に垣間見られる「赤」の色彩についてである。靴箱、ゴミ箱、セーター……これらの色彩はすべて赤。赤こそは、小津の色彩の基盤である。カウリスマキはその赤を借用している。赤は、映画の静的世界に命を与える。命の炎である。無口な、歳を重ねた恋人たちの何気ない表情の下には、静かな赤い炎が燃えている。

それに、紙芝居的映像は小津そのもの。一幅の絵画に、人間が出はいりする。カウリスマキの描いた絵に、貧しい人間の、生活のドラマが映し出される。そのドラマは、ある意味、ありふれたものである。でも人は、そんな平凡な日常のなかで、心を乱すことになる。

この映画のなかで、小津作品と決定的に異なるのは、音楽である。小津映画の音楽は、ひとりの作曲家の手になるものだ。それも極めて控えめで、映像の雰囲気を静かに伝えるにすぎない。対してカウリスマキは、多種多様な音楽を使用する。のっけから、日本の民謡風の音楽が流れてきて驚かされた。

「カラオケ」という言葉は、もはや世界標準だということも、この映画で知った。主人公のひとりホラッパは、友人に誘われてカラオケバーに行く。彼は歌わないのだが、友人はバリトンの美声を聴かせる。クラシックの歌曲からロックまで、このカラオケバーのレパートリーは広い。

ホラッパは、このカラオケバーでアンサと出会う。といっても、遠目に彼女を見て、密かに惹かれたにすぎない。アンサも彼に視線を向ける。ここでは言葉を交わすことはない。その後ふたりは、また偶然の出会いからつきあうようになるのだが、さらに偶然の出来事が重なり、なかなか恋は成就されない。さまざまな紆余曲折を経て、シャンソン「枯葉」をバックの大団円に至るのであるが。

人と人はどのように出会い、結びつくのか。なぜ惹かれあい、あえて重荷を背負うのか。理屈ではない、それこそ、「魔法」ではないのか。そのようにカウリスマキはいっているようだ。人の明日は、分からない、でも、とにかく生きてみることだ。しみじみそう思わせる映画であった。

2023年12月26日 於いてユーロスペース

2023年フィンランド・ドイツ映画
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
撮影:ティモ・サルミネン
美術:ビレ・グロンルース
編集:サム・ヘイッキラ
音楽:マウステテュトット
出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・バタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイブ、アンナ・カルヤライネン、カイサ・カルヤライネン

2023年12月29日 j.mosa