「岸壁の母」と「鳳仙花」――演歌と兄の死

私は、この7月に石川さゆりの「天城越え」を聴くことによって、突然演歌に目覚めることになった。それまでもっとも苦手としていた演歌が、なぜそれほどまでに私の心をとらえるにいたったのか。ひとことでいうなら、物語の世界を音楽で表現するという形式として、オペラに近いものを感じたのである。しかも、たった4分間の楽曲が、2時間のオペラに匹敵する!という実感をもった。それに演歌は、誰もが自分で歌うことができる。これは、オペラに勝る強みであろう。

いっぽう、日本のポピュラーミュージックには、Jポップなど他の分野のものもある。これについても私はいっこうに不案内で、云々する資格はまったくないのだが、少なくとも私には、演歌の方が身近に感じられる。日本人としての私のこころに訴えてくる力が違うのだ。私が歳を重ねたこととも関係がありそうだが、演歌は、父がよく聴いていた浪曲とも関連が深い。考えてみれば、私の音楽体験の原点は浪曲にあるようだ。ラジオから流れてくる広沢虎造の声は、いまでも耳の奥に聴くことができる。

浪曲はいうまでもなく、文楽の義太夫節を源流のひとつとしている。三味線の伴奏で物語を語るという形式は義太夫節そのものである。もっとも義太夫節の三味線は、浪曲におけるそれに比べて、はるかに位置づけは高い。語りの太夫とほとんど匹敵するくらいの重要性をもっているのだから。ともあれ演歌は、私がこのところ傾倒している文楽とも深い関わりがあるのだ。

話は変わるが、今年の2月に他界した私の兄は演歌が好きであった。政治信条から生き方、趣味にいたるまで、まったく正反対であった兄とは、日常それほどの付き合いがあったわけではない。それで、葬儀に出席して、私の知らない彼の一面に触れて少し驚いた。3人の方の弔辞には真情が溢れていて、兄の素顔の一端を知ることができたのだ。祭りなど賑やかなイベント好きの彼が、その催しの過程で、どのように細やかに人と接したか、地域の人と人のつながりをいかに大切にしたか――葬儀の間に流れていたのは、カラオケ好きだった兄が自ら歌った「岸壁の母」であった。母と息子の間の、断ち切りがたい真情を切々と歌ったこの曲こそ、演歌の真髄なのかもしれない(詞=藤田まさと、曲=平川浪竜)。

私はいま、島倉千代子の「鳳仙花」を練習中である。この歌は、兄とたった一度だけカラオケ酒場に行ったとき、彼が歌った曲である。「鳳仙花、鳳仙花……」と歌われるフレーズが印象的だったし、高音が軽やかに伸びる彼の歌はじつにうまかった。曲名は隣席の姉に教えてもらった。ささやかな幸せを祈る庶民の想いを、街の片隅に咲く鳳仙花に託した名曲だが(詞=吉岡治、曲=市川昭介)、なんとか兄のレベルで歌えるようになりたいと思う。それが、せめてもの兄への供養だろう。

2013年9月1日 j-mosa