愛と夢の映画、スパイスは狂気と哀しみ――人生を歌う『ラ・ラ・ランド』
エンディングに流れた、哀愁に満ちたピアノのメロディーが、まだ頭のなかに響いているような気がする。左隣の若い女性も、右隣の中年の女性も、ハンケチで目をぬぐっている。大型映画館の、満席の観衆の誰もが立ち上がる気配もない。人生はこれからも続いていく……。余韻に満ちたラストである。物語の終結はこうでなければならない。
受けを狙って、予定調和のエンディングを企図することで、本編の充実度がいかに損なわれるかは、例えば年末に放映されたイギリス制作のドラマ『戦争と平和』がよく証明している。アウステルリッツやボロジノの戦いもリアルに描き、人間の弱さ、醜さを抉り出した本編が、能天気な結末で台無しになってしまった。主人公ピエールの、これからの波乱の人生を暗示する小説の結末とは、もちろん異なっている。
ところで、『ラ・ラ・ランド』のキャッチコピーは、「観るもの全てが恋に落ちる、極上のミュージカル・エンターテインメント」である。いかにも若者向けの、甘い恋愛ものミュージカルといった感じだが、なかなかそんな単純な映画ではない。本作は、デミアン・チャゼルの、音楽の狂気を描いた傑作『セッション』に続く監督第2作だが、内容の濃さを考慮すると、当年とって32歳という若さは信じられない思いである。
人生は出会いによって方向が定まる。それは偶然であるものの、神秘に満ちており、それゆえに必然かともみえる。主人公ふたりの出会いは、偶然を3度重ねて、ご都合主義の誹りを受けそうなものだが、逆に不思議なリアリティを生み出している。音楽という神秘を仲立ちにしているからなのだろうか。
夢を持て、自分自身であれ。そう若者に語りかけながら、この映画は、その道が危険に満ちており、狂気をも孕んでいることを見逃さない。追い風にのって自転車をこいでいると、風の存在さえ忘れてしまうものだ。ところが、停止して振り向いたとたん、激しい北風に愕然とする。本作は、容易ならざる社会の風をも描いている。
人との関係で、言ってはならない言葉がある。相手を傷つけ、関係をも壊してしまう。問題は、最悪の結果を予想しながら、その言葉を発してしまうことだ。追いつめられると人間は何でもする。人を殺すのに刃物はいらない。この人間の恐ろしさをも表現しているのが、この映画の深さである。しかも軽やかに!
資本主義の社会では、売れることこそが第一義である。ジャズも変わらなければならない。いつまでもモンクやアームストロングではなかろう。女性コーラスを配し、シンセサイザーを駆使するグループに主人公は入団する。高収入は得られるが、自分の愛するジャズではない。伝統とは何か。芸術に於けるこの普遍的なテーマを、本作は真面目に追究している。
美しく、激しい、歌やジャズや踊りの数々。そのミュージカル・エンターテインメントのなかに、よくもこれだけの人生を盛りこんだものだと感心する。自然で軽やかな分だけ、哀しみも深い。しかしエンディングがどのように思いがけないものであろうとも、恋人たちが見かわす心からの微笑は、明日を生きのびる糧となるはずである。結末の鮮やかさは、何度賞賛してもしすぎることはない。
2017年2月28日 於いて新宿バルト9
2016年アメリカ映画
監督・脚本:デミアン・チャゼル
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、J.K.シモンズ、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット
2017年2月28日 j.mosa