信仰の二面性について考える——メル・ギブソン『ハクソー・リッジ』

「ハクソー・リッジ」は、沖縄本島中部の前田高地の峻嶮な絶壁のことで、前の大戦で米軍が名付けた。約150mの弓なりの絶壁で、普通の登攀は不可能。「のこぎりの崖」と訳される。1945年4月1日、米軍は中部西海岸に上陸して、日本軍の司令部がある首里を目指した。前田高地は首里をはるかに見渡せる最大の防御線で、ここをめぐる日米両軍の戦いは熾烈を極めた。

この映画では、この戦いに参戦した実在の人物、デズモンド・T・ドスが主人公である。彼はセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信者で、良心的兵役拒否者でもある。そんな彼が戦争に行き、武器を持たずに、衛生兵として75人の命を救う。前田高地での激烈な戦いがこの映画のハイライトであるが、悲惨さをリアルに描くことで、武器を持たずに仲間の命を救うことの「異常さ」に強い説得力を持たせている。首や腕が吹き飛び、銃弾が頭を貫通する。死体にはネズミが群がり、あっという間にウジがわく。

宗教と戦争、これがこの映画の最大のテーマだろう。主人公は「殺すなかれ」というキリスト教の第一の教えを手放さない。ところが戦争は人を殺すことこそが目的である。良心的兵役拒否者は戦争に行くこと自体を拒否する。しかしこの映画の主人公は、日本の真珠湾攻撃に衝撃を受けたといい、対日戦争には反対ではない。むしろ、仲間が命をかけて戦っているときに、安閑と家にいるわけにはいかないと考える。

兵役には志願する、しかし武器はとらない。つまり人は殺さない。この矛盾は戦いには不利にしかならない。当初、兵営の仲間や現場の指揮官は彼を受け入れない。軍令拒否者として軍法会議にもかけられる。かくして周囲の誰もが彼の除隊を望むのだが、曲折あり、参戦が認められることになる。

この映画では、宗教を肯定的にとらえる。殺さないという宗教的信念が、武器を持つことなく多くの人命を救うことになり、主人公は英雄となる。しかし神に命を捧げるという宗教的信念は、逆に、人を殺すことの大きなバックボーンにもなりえる。ISの自爆テロなどはその典型であるし、宗教戦争は洋の東西の歴史に枚挙のいとまもない。

15、6世紀の一向宗(浄土真宗)は、地侍や百姓に多大な影響を与えた。阿弥陀仏のもと、人間はみな平等であるという教えほど、庶民を引き付けた思想はあるまい。加賀ではその思想のもとに守護の冨樫氏を倒し、100年もの間地侍・百姓たちの共和制が実現した。石山本願寺を頂点とする一向宗の力は、対信長勢力の最大のものであったようだ。

阿弥陀仏のために戦い、死ねば極楽浄土に生まれ変わる。厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)。人を殺すことは見事に正当化される。戦いにこれほど強力な思想もあるまい。宗教や思想は、人を救い、社会を変える。いっぽう、人を殺し、社会を破壊する。この映画は、少しの緩みもない秀抜な娯楽作品だが、多くの考える糸口も与えてくれた。

なお、この映画で語られることはないが、前田高地の戦いでは、非戦闘員、つまり浦添村(当時)の住民4,112人が犠牲になったという。なんと村民の44.6%に当たる。

2017年7月28日 於いてシネマート新宿

2016年アメリカ映画
監督:メル・ギブソン
脚本:アンドリュー・ナイト、ロバート・シェンカン
原案:グレゴリー・クロスビー
撮影:サイモン・ダガン
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、ヴィンス・ヴォーン、サム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー、ヒューゴ・ウィーヴィング、ライアン・コア、テリーサ・パーマー、リチャード・パイロス

2017年8月1日 j.mosa