死を背負ってなお、甘美な音楽――ヘンデル『ロデリンダ』とシューベルト

だいたいオペラは、最上階の真ん中で聴くことにしている。チケット代が安いし、何よりも音が天井に反響して、体全体を包みこんでくれる。新国立劇場も東京文化会館も、最上階の音響は素晴らしい。音楽を聴くのなら、天井に近い席で聴くのが一番である。

ところが今回のヘンデルは、前から2列目、それも中央で聴くことになった。同席する予定だったイギリス人のPさんが、その席に固執したからだ。オペラ好きの彼は、可能なら最前列を選ぶ。そして私は、初体験のその席で、まことに迫力に満ちたオペラを体験したのだった。

歌手の表情が手にとるように分かる。悲しみも、喜びも、憤りも。声が直接に耳に届くのはもちろんのこと、歌い終わったあとのため息までも聴こえてくる。ああ、人間はあのように1日を生きているのだと、感慨を深くしたものだ。

オペラは、音楽であると同時に演劇である。舞台から遠い席にいると、歌手の表情は分からない。私は8倍率の小型双眼鏡をいつも持参するのだが、それでも細やかな表情をとらえることはできない。最上階の席では、オペラの演劇効果をかなり割り引いて聴いていることになる、と今回理解した。

さて、最前列で観た『ロデリンダ』は素晴らしかった。セミステージで、舞台装置はないに等しいのだが、照明を工夫し、映像も効果的で、演劇的効果は十分。歌手も抜群の演技力だった。

何よりも、寺神戸亮の、推進力と抒情性兼ね備えた指揮をこそ賞賛したい。歌手は、アジリタをなんなくこなして、愛を歌い、嫉妬を燃やし、権力への欲望を表現した。オケは左に寄せて、真ん中を演技の場とした。管楽器のみ右に配置したが、これがステレオ効果満点。総合力が発揮されると、オペラは夢の世界となる。

物語は、権力の座を追われ、死亡したとされているロンバルディア王ベルタリードと、残されたその妃ロデリンダをめぐって展開される。王の後釜に居座ったグリモアルドは、自らの権力を盤石のものにするため、許嫁がいるにもかかわらず、ロデリンダを得ようとする。権力、詐謀、愛、嫉妬が渦巻く、まるでヴェルディのオペラのような、政治世界の物語である。

そのような現実的な物語世界にもかかわらず、音楽は美しいアリアに満ちている。物語を生きるのは人間であり、アリアは、その人間の心情を歌い上げる。モーツァルトやヴェルディのオペラの原点はヘンデルにある、と実感した。

第2幕の幕切れの、主役2人の二重唱はこのオペラの白眉。やっと再会した王と王妃は、また別れなくてはならない。それも、死を覚悟して。甘美で、それでいて哀しい歌の背後には死の影がある。私は、先日聴いた、シューベルト最後のピアノソナタD.960を思い浮かべて、思わず涙した。

11月26日に聴いた、イゴール・レヴィットのピアノは、人間の物語を紡いでいた。シューベルトのD.960が、まるで違った曲に聴こえたのだった。絶えず背後に流れる低音のトリルは不気味で、死を連想させた。休符の多いことにも、フレーズの最後の音の印象的な引き伸ばしにも、他のピアニストの演奏にはなかったことだ。無意識の死のなかで、私たちは立ち止まり、時には憧れをもって、生きている。ヘンデルは、私のなかで、シューベルトをも包みこんだのだった。

『ロデリンダ』
2025年11月30日 於いて北とぴあ

指揮・ヴァイオリン:寺神戸 亮
演出:小野寺修二(カンパニーデラシネラ)

ロデリンダ:ロベルタ・マメリ(ソプラノ)
ベルタリード:クリント・ファン・デア・リンデ(カウンターテナー)
グリモアルド:ニコラス・スコット(テノール)
エドゥイジェ:輿石まりあ(メゾソプラノ)
ウヌルフォ:中嶋俊晴(カウンターテナー)
ガリバルド:大山大輔(バリトン)

ダンサー:崎山莉奈、大西彩瑛

管弦楽:レ・ボレアード(ピリオド楽器使用)


イゴール・レヴィット ピアノリサイタル
2025年11月26日 於いて東京オペラシティ

シューベルト:ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960
シューマン:4つの夜曲Op.23
ショパン:ピアノソナタ第3番ロ短調Op.58

2025年12月8日 j.mosa