映像に滲み出る人と人との間――三宅唱『旅と日々』

「言葉の檻に閉じ込められている」。これは、映画の主人公李(り)の、印象深いモノローグである。韓国人の彼女は、映画の脚本を書いている。ペン先が大映しになり、ハングルの文字が綴られていく。しかし容易に前に進むことができない。破棄した原稿用紙が増え続ける。彼女は、言葉で表現することの困難さに陥っているのだ。韓国人でありながら日本の映画をつくる。言葉の檻は、幾重にも彼女を取り囲む。

その李のペン先から一篇の映画が生み出される。海辺での若い女性の物語である。映画のなかの映画が展開することになる。男と車で偶然訪れた海辺の街で、女は孤独な若い男と出会う。砂浜で、断崖で、ひとり本を読む若い男。何気なく出会い、何ということもない会話。海は陽が降り注ぐことはなく、暗い。最後に、台風の大波を泳ぐ若い男と、遠くの砂浜からじっと見つめる若い女。

ある大学の授業で、この短編映画が上映される。ここに、脚本を書いた李が招待される。感想は、と問われて、彼女は「自分には才能がないことが分かりました」と答えるのだった。そして、「言葉の檻に閉じ込められている」自分を解き放つために、旅に出る。

李が旅するのは、一転して、雪深い北の国である。人里離れた一軒宿の主人との不思議な数日間が語られる。雪に押しつぶされそうな古びた宿。いや、それはとても宿とはいえない山小屋である。調度品一つひとつが古びていて、彼の置かれた孤独をも表している。彼には子どももいたのだが、妻と共に家を出たらしい。李は、彼の言葉に甘えて、その宿で仕事を始めることになる。

男は、ひとり孤独に宿を切り盛りしているにしては俗物で、離縁した妻の実家の池から、高価な錦鯉を盗むようなこともする。そして不思議なことに、このいい加減な中年男との数日間が、李の仕事を押し進める契機となる。彼との間で深い話が交わされることはないし、心が通じ合ったとも思われない。それでは、彼女は、この宿で何を発見したのだろうか。映画を観終わった時の、私の心に満ちた安堵感は、いったい何だったのだろうか。

言葉は、実在の人間を、その孤独を、なおも生き続ける日々を、確かに表現することができるのか。手中に閉じ込めたと思っても、指の間から真実はこぼれ落ちる。主人公李の問題意識は、この映画の脚本を書き、監督をした三宅唱のそれでもあったはずである。監督は、映像を通して、その問いへの答を表現した。映画のなかの映画にも、北の宿での出来事にも、言葉を超えた、人間と人間のありようが描かれている。芸術の力であろう。暗い海辺の光景と、雪に埋もれた一軒宿の映像は、いまだに私の脳裏から離れることはない。

2026年2月8日 於いてキネマ旬報シアター

2025年日本映画
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春
撮影:月永雄太
編集:大川景子
音楽:Hi’Spec
出演:シム・ウンギョン、河合優実、髙田万作、佐野史郎、堤真一

2026年2月27日 j.mosa