賞に値する作品であるか?——韓国映画『パラサイト 半地下の家族』

韓国映画の『パラサイト』がアカデミー賞の作品賞を獲得した。昨年のカンヌ国際映画祭でのパルムドール受賞と合わせて2冠である。これはめでたいことといわねばならない。分けてもアカデミー賞では、はじめての外国語映画の受賞ということだ。アジアの映画が評価されたこと自体は素直に喜びたい。

新聞、テレビをはじめ、ここ数日のジャーナリズムは、称賛の嵐である。韓国社会の格差の実態を見事に描き、しかも物語の面白さは無類である、などなど。しかし、批判的な記事が皆無であることに、私は強い違和感を覚える。本当にこの作品は、世評のいうような傑作であるのか、と。

私は、観終わったあとの、後味の悪さを忘れることができない。私にとって、後味の悪い映画を優れた映画と呼ぶことはできない。それゆえ、映画好きの友人にも、観ることを勧めないできた。そして、その後味の悪さの原因ははっきりしている。この映画は、「寓話」のセオリーを逸脱しているのだ。

職のない貧困家庭とIT企業の社長の家庭。住む家は、狭い半地下と高台の広壮な家。登場人物も凡庸にカテゴライズされていて、主人公たちは、手練手管を用いて、臭気にみちた半地下から天上の豪邸へと駆け上る。その間に、失敗もあり、思いもかけない事態も出来(しゅったい)するが、それらを含めて、この物語は、貧しい者たちの寓話である。であるならば、彼らが成功するしないにかかわらず、彼らに不快感を与えてはならない。

貧しい彼らが天上の世界に駆け上がるについて弄する手段は、あまりに汚く下劣である。しかも、追い落とす相手は、同じ貧しい者たち、運転手と家政婦ではないか。面白おかしく描いているものの、私はまったく笑うことができなかった。不快さを噛み締めていたといっていい。

優れた映画は、主人公が殺人者であろうが、詐欺師であろうが、観るものにある種の共感を呼び起こすものである。彼らが犯す悪のなかに、自らを見るからだ。この殺人者は、あるいはこの詐欺師は、ひょっとしたら自分ではないか、という慄きを感じるのだ。『パラサイト』の登場人物には、誰ひとり共感を覚えることはなかった。

このコラムは、基本的に、私が感動を覚えた作品を紹介することにしている。今回ははからずも例外になってしまった。それは、ジャーナリズムの、あまりの偏りに危惧を覚えたことも一因である。どの新聞もどのサイトも、同じような言葉でこの作品を称賛している。これはやはり異常なことだといわざるを得ない。意外な話の展開は確かに面白くはあり、格差を匂いで象徴するなど、光る才は随所に見られたのであるが。

2020年1月29日 於いて吉祥寺オデヲン

2019年 韓国映画
監督:ポン・ジュノ
脚本:ポン・ジュノ、ハン・ジンウォン
音楽:チョン・ジェイル
撮影:ホン・ギョンピョ
編集:ヤン・ジンモ
出演者:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム

2020年2月14日 j.mosa