文楽人形は理想の女性像?——谷崎潤一郎『蓼喰う虫』

谷崎潤一郎は文楽の人形になにを託したのだろうか。『蓼喰う虫』は、離婚の危機にある夫婦を描きながら、その背景に文楽を置いている。道頓堀の『心中天の網島』と淡路の『生写(しょううつし)朝がほ日記』などである。それらは背景にすぎないのだが、当時の谷崎の、日本の古典芸能への関心の高さをあらわしている。

主人公の要は、義父、つまり妻美佐子の父の誘いで、道頓堀まで文楽を観にいくことになる。50歳代半ばのやもめの義父は、娘ほどにも歳の離れたお久という女を妾としている。その日もお久は、凝った料理をお重につめてのお供である。要は、このお久に、文楽の人形、たとえば小春の面影をみる。

「梅幸や福助のはいくら巧くても『梅幸だな』『福助だな』と云う気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないと云えば云うものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出しはしなかったであろう。……昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎み深い女であったのに違いない……」

お久は、老人の要望に応えて料理をつくり、習い事に励んでいる。三味線に地唄。手塩にかけた日本料理といい、身だしなみといい、まさに江戸文化を体現する存在である。ある意味で、文楽の人形、老人に巧みに操られているとはいうものの、「昔の人の理想とする美人」に他ならない。そのようなお久に、要はひそかに惹かれていくのだが。

いっぽう、妻の美佐子は、お久とは対照的な女である。自分の意見をはっきりと言い、趣味も洋風。彼女はお久を常に無視するのだが、次のように思っている。「父もうっとうしいけれども、それよりお久がいやであった。京都生れの、おっとりとした、何を云われても『へいへい』云っている魂のないような女」と。

さて要は、子どものことや世間体もあり、なかなか踏み切れないのだが、美佐子と別れようとしている。その、あまりに現代的な性格ゆえか、というと、必ずしもそうではない。美佐子は、夫が外出のときなど、文句がないほど細やかに衣服を整えたりする。妻の役割はキチンと果たしているのだ。それではなぜ別れなくてはならないのか。これはまた明確で、性的な不一致である。

ふたりの間には、夫婦の営みが絶えて久しい。そして美佐子には外に恋人がいる。その事実を、要は容認している。自分たちの関係性からみて、妻の浮気は当然だと要は考えているのである。美佐子は美佐子で、現状に甘んじるところがあり、それゆえに、ふたりとも、離婚に踏み切れない。従弟の高夏を交えた、この、夫婦の煮え切らないリアルな生活描写も見事。

ついに離婚を決意したふたりは、美佐子の父親に報告にいく。ここでの老人の言葉もなかなか説得力がある。「性が合わなければ合わないでいい、長い間には合うようになる。お久なんかも私とは歳が違うんで、決して合う訳はないんだが、一緒にいれば自然情愛も出て来るし、そうしているうちには何とかなる、それが夫婦と云うものだと考える訳には行かんものかね」。現代の夫婦も、その多くがこの言葉に説得されているような気がしないでもない。

「要さん、とにかくなんにも云わないで、私に美佐子を二三時間預けては下さるまいか」と老人は言い、近くの料理屋に娘を連れていく。小説はここで終わる。老人の説得は成功したのか、しなかったのか。結論は書かれていない。読者に委ねられているのだ。ここも上手い。読者は考えざるをえない。

この小説が書かれたのは1929年。昭和4年である。大正デモクラシーの影響もあったのか、すでに美佐子のような新しい女が出現していたのだろう。谷崎はその新しさを認めながらも、文楽に象徴される日本の古い芸術に心を動かされていた。この小説は、文化に対する谷崎の心の葛藤を描いているといえなくもない。映像的な描写力は、もちろん第一級である。

2020年1月28日 j.mosa