むさしまるのこぼれ話 その三十三 「切ないほど美しい」音楽

エメットというギタリストは派手好きの見栄っ張りだが、ギターの腕前は評判で彼の演奏を楽しみにするファンも多い。そんなエメットが巡業先の港町でハッティーなる娘と懇ろになる。しばらくして巡業先での束の間の火遊びが終る頃、ニューヨークに行くんだと、男は女に別れ話を切りだす(じつは、ハッティーは幼い頃にかかった熱病のせいで口がきけない。聴覚は問題なく、洗濯屋で働いて自活している)。オレは一時的に惚れても決して深入りしない、それが一流音楽家の信条だ、などと身勝手な理屈をこねて説得にかかる。娘は頑として聞き入れない。根負けした男は女の同行を許す。
都会での生活もしばらくは平穏だが、そう長くは続かない。エメットは自分の音楽性に興味をいだいたインテリ女に惚れこみ、なんと結婚! 案の定、夫婦は破綻する。かつての港町にまた巡業に来たエメットは、かつて別れ話を切りだしたのと同じ場所で、復縁を持ちかける。けれどもハッティーはすでに所帯を持って子供もいる。それを知ったエメットは、その夜、愛器のギターを木の棒に打ちつけてバラバラにし、泣きくずれる。
『ギター弾きの恋』(1999)のこんなストーリーを知って、むずむず感じる人は少なくないのではなかろうか。見栄っ張りのエメットを憎めない奴だと思う人もいるに違いない。誰しも青少年の一時期、後ろめたさを感じながら虚勢を張って、これ見よがしに演じてしまうことがある。だから、誇張されたエメット像を薄めてみれば、たいがいの人は昔の自画像を見いだすことになる。
白眉のシーンはというと、そう、港町での別れ話と復縁話である。海水浴シーズンの別れ話のときは、ハッティーが口をへの字に曲げ、目に涙をためて頑強に抵抗した(冒頭の映像がその雄姿)。懇ろになったあの晩、エメットがベッドで弾いてくれたバラード「I‘m forever blowing Bubbles」にハッティーは我を忘れるほどほれ込んでしまったのだ。彼女の誤算は、エメット自身が自分の純情さに気づいていないことだった。
復縁話のときは、冬場の荒涼とした同じ港町のベンチである。ハッティーにニューヨークに行ってやり直さないかと持ちかけるが、ハッティーの現状を知るに及んで、今度はエメットが目を潤ませる番だ。もちろん、ええかっこしいのエメットだから、「おまえが来て三角関係になるとヤバい」とこじつけながら、目元に浮かびかけた涙を親指で巧妙にこすってごまかす。この辺りのショーン・ペンの演技はすばらしく、『俺たちは天使じゃない』(1989)での偽牧師の演説と双璧をなすと思うが、贔屓目だろうか。
ストーリー展開にくわえて小気味よかったのは、全編を流れるジプシー・ジャズ(ロマ・ジャズというべきかもしれない)のかもす雰囲気だ。モダンジャズ以前の時代を彷彿とさせる小気味よいリズムが醸し出す素朴さと、アコースティック・ギターの枯れた音のほんのりとした甘さは、令和の今なら遠い昭和の情景を呼び寄せてくれる。
これは原作映画とは無関係ながら、字幕のセンスも印象に残った。たとえば、ラストシーンでギター弾きが絶叫するのは、I made a mistake, I made a mistake! なのだが、これを字幕では「おれが馬鹿だった、おれが馬鹿だったんだ」と表現していて、さすがプロだ。それ以上に、エメットが最後に録音したとされるアルバムの音楽を、映画のなかで監督ウッディー・アレンが評して、absolutely beautifulというのだが、これがなんと「切ないほど美しい」なのだ。イカシてるなあ、パチパチパチ!
監督:ウッディー・アレン
主演:ショーン・ペン
助演:サマンサ・モートン
音楽:ディック・ハイマン
アメリカ映画
むさしまる



