音楽の大天才ベートーヴェンと物理学の大天才アインシュタインの共通の愛読書はなにか? このクイズの答が皆さんにはおわかりだろうか? それはインドの古典『バガヴァッド・ギーター』である。もっともベートーヴェンの時代ドイツ語全訳はまだなく、インド哲学の本のなかの引用文にいたく感銘して彼は、『日記』にその一部を書き写したのだが。

彼らの心を射止めたのはなにか? それはすべてを貫く時間の矢に添って出現する宇宙の法(ブラフマン)、つまり宇宙を導く法則が世界を支配していること、したがって人間の生き方も、この法に沿うものでなければならないという主張である。

合衆国ニューメキシコ州の白い砂漠で行われた世界最初の核爆弾の実験時、目もくらむ閃光と爆発の衝撃のなかで、開発者のひとりオッペンハイマーは、『バガヴァッド・ギーター』の予言的な一節を思い起こし、戦慄した。神クリシュナの恐ろしい宣言、「われ、世界を滅亡に導く大いなる死、大いなる時なり、諸世界を打ち砕くためにここに来たれり!」

インド・ヨーロッパ語では、「時間」という語は同時に「死」という意味を内包する。時は人間にかぎらず、万物の死を導くが、逆にその法則を自覚したとき、はじめてひとも社会も究極の解放と永遠の平和を手にすることが許される。核開発はこの宇宙の法への反逆である。なぜならそれは、本来人間の手を超えた死と滅亡の力やエネルギーによって現世の繁栄をもたらそうという、宇宙の法に逆行する発想と行為だからである。

ヒロシマ・ナガサキより66年、東日本大震災にともなうフクシマ原発の大事故は、このクリシュナの恐ろしいことばをふたたび想起させた。われわれの室内オペラ《バガヴァッド・ギーター》は、大叙事詩『マハーバーラタ』のこの珠玉の一巻『バガヴァッド・ギーター』を音楽の力によって現代によみがえらせ、その真理の声を世界にひびかせようとするものである。

北沢方邦