室内オペラ《バガヴァッド・ギーター》原作台本

北沢方邦

登場人物

クリシュナ(神にしてアルジュナの戦車の御者)
アルジュナ(パンダヴァの戦士にして英雄)
サンジャヤ(吟遊詩人にして語り手)

序の場 予言の書

幽暗のなかからサンジャヤ登場
サンジャヤ 宇宙のはじまりより、いまや百三十七億五千万年の時がたつ……宇宙の創造者ブラフマーの一昼夜は四十三億二千万年、その三昼夜あまりにすぎぬ……まして人の世は、ブラフマーの一瞬のまたたきでしかない……だが一瞬のまたたきの間に、神々が賽を振り、人の世は決められた。人の世は四つのユガ、すなわち四つの時代をへたのちに終わる……
第一の時代はクリタ・ユガ、賽の目の勝利の時代。サティヤ・ユガすなわち真理の時代ともよばれる。ギリシア人は黄金の世と名づけた。
第二の時代はトレタ・ユガ、賽の目の三の時代。ギリシア人は銀の世と名づけた。
第三の時代はドヴァパラ・ユガ、賽の目の二の時代。ギリシア人は銅の世と名づけた。
そして最後、第四の時代はカリ・ユガ、賽の目のすべてを失う時代。ギリシア人は鉄の世と名づけた。カリとは賽の四度目、最終の振り、また宇宙を支配してきたカーラ、すなわち時であり、死であるものをも暗示する。黒面[くろおもて]の死の女神カーリーの時代でもあるのだ。カリ・ユガはやがて、火と水にて滅ぶとされる。
百七十二万八千年のクリタ・ユガよりユガは次第に短くなり、カリ・ユガはわずか四十三万二千年で終わる。そのさなか、いまよりおよそ二千三百年前、大叙事詩『マハーバーラタ』は生まれ、いかなる文明やその繁栄も、はてしなき欲望と権力に支配されるかぎり、すべて滅亡し、無に帰ることを教えた。その教えは、この大叙事詩の頂点である「バガヴァッド・ギーター」すなわち神の歌で説かれる。聖バガヴァッドすなわち神クリシュナが、戦いをまえに迷いと混乱に陥った英雄アルジュナの戦車の御者として出現し、教え諭す。それは、カリ・ユガの末期にあるわれらにとって、とりわけ教訓的であり、真理であるのだ……
サンジャヤ退場

第一場 カリ・ユガの末期としての現代

クリシュナとアルジュナ登場
アルジュナ 聖バガヴァッドよ、いまの世に生きるわれらに告げよ。比類のない富と知識を手にしたいまの世が、なぜカリ・ユガなのか、なぜ喪失と終末の時代なのか。また富にうるおうはずの世に、なぜ戦乱や混乱が絶えないのか。
クリシュナ アルジュナよ、汝の友としていおう、よく聴くがよい。
この世界は、神とともにあるものと、
アシュラ的なるものと、二つより成る。16-6
アシュラなるものらは、清らかなるものも、
正しきものも、真実をも知らない。16-7
アシュラなるものらはいう、この世には真実も、根拠とすべきものも、
神も、因果の連鎖もない。ただ欲望のみだ、と。16-8
アシュラなるものらは、この見方を信じ、おのれを失い、
瑣末な知識におぼれ、恐るべき行為を企て、世界を滅ぼすために生まれる。16-9
アシュラなるものらは、充たされぬ欲望に耽り、偽善と傲慢に酔い、
迷妄に由来する誤りに固執し、悪しき信念に基づき行動する。16-10
アシュラなるものらは、生きるとは欲望を満たすこと
と確信しながらも、死にいたる測りがたい不安におののく。16-11
アシュラなるものらは、幾百もの幻影の罠に縛られ、欲望と怒りに専心し、
快楽をえるために、不正な手段によって富を蓄積しようとする。16-12
アシュラなるものらは、無知に迷ってかくいう──
「今日はこれを得た。欲しいものはもっと手に入れる。
この富はおれのもの、あの富もおれのものに。
おれはあの敵を殺した。もっと多くの敵も殺す。
おれは権力者、おれは快楽者、
おれは成功者、強者、幸福者。
おれは金持ち、ならぶものなき名門の生まれ、
祭りごともしてやろう、施しもしてやろう、楽しみとしてな」16-13,14,15
アシュラなるものらは、終わりなき雑念に混乱し、迷妄の罠に囚われ、
欲望の充足に中毒し、非道の地獄の深淵に陥る。16-16
おのれを破滅させる地獄の三つの門、それは欲望、貪欲、怒り。
この三つすべてを捨てねばならぬ。アルジュナよ。16-21
アルジュナ 欲望、貪欲、怒り、地獄への三つの門、いまの世にすべての扉は開かれている。
まずは欲望。いまの世に生きるとは、快適さへの飽くなき追求、それは快楽の自覚なき快楽、欲望の自覚なき欲望の飽くなき追求にほかならぬ。
貪欲は社会のメカニズムそのもの、利潤と収益の飽くなき追求は、大地の資源を収奪し、母なる大地の生命を脅かし、季節の声を狂わせ、時の温和な移りを断ち切る。
怒りは怒りを呼ぶ。人種、宗教、性、差別は差別を呼び、偏見は偏見を呼ぶ。人の世は怨みと呪いに溢れ、怒りによる暴力はさらに激しき暴力を呼ぶ。
みかけの平和、みかけの繁栄の蔭に、隠された地獄の深淵が口を開く。その口に向かっていまの世は、ゆっくりと近づいている。
この動きを止めねばならぬ。だがそれは巨大な歯車、人間みずからが造りあげた巨大な歯車、究極には神々の廻す輪廻の歯車のひとつにすぎぬが、それを止めるのは難しい。
これはたたかいだ。だが勝利をえるにはきわめて困難なたたかいだ。わたしには自信がない。滅びゆくものとともに滅びるしかないのか、クリシュナよ。
クリシュナ
 危機の時代になんという弱気! アルジュナよ。弱気は恥ずべきもの、不名誉なもの、天への道をさまたげるもの。2-2
無力さに陥るな! それはおまえの本性ではない! おまえの心から卑小な弱さを追放せよ! 戦いに立ちあがれ! アルジュナよ。2-3
アルジュナ 夜の灯火は煌めき、宇宙の星々の輝きを失わせ、ひとびとは街路に溢れ、まばゆい商品の山々に魅せられ、生活を楽しんでいるかにみえる。
快く耳目をくすぐる、ことばと音と映像の洪水におぼれ、ひとびとには宇宙も神々もみえず、人の世の瑣末なむなしい営みしかみえぬ。
日々の営みの快さの陰で、ひとびとの心は蝕まれ、内面にひたすらひろがる空虚さにも気づかず、人の世が歩一歩と深淵に近づきつつあることも知らない。
こうしたひとびとに向かって、戦いをよびかけることはむなしい。この空虚に向かって、戦いをよびかけることはむなしい。何のための戦いか?
終末のみえる私には、戦う気力をよびおこす力も失せた。ただ嘆くしかない。深淵を蔽う文明という名の蓋に坐して、ただ嘆くしかない。
たとえ王国をえようとも、比類なき富をえようとも、神々にまさる至高のものになろうとも、私の感覚をなえさせる、この嘆きを撃ち払うすべを私は知らない。2-8
この嘆きを撃ち払うためには、なにが必要か? 戦いに立ちあがるためには、なにが必要か? クリシュナよ。
クリシュナ
 おまえは嘆くに値しないひとびとにために嘆き、洞察力のあることばで語る。だが賢者は、死者についても生者についても嘆かぬ。2-11
物質と触れれば、暑さ寒さ、快楽や苦痛を感じる。だがアルジュナよ、来たりまた去るはかなきものごとに、耐えることを学ばねばならぬ。2-14
はかなきものごとに苦しまぬもの、苦痛も喜びもひとしいとするものは、不滅なものとなるのだ。2-15
存在しないものが生成することはなく、存在するものが生成しないことはない。この二つの区別を知るものは、真の実在を知るものなのだ。2-16
このすべてにあまねく満ちひろがるものは不滅であり、この不変の実在をだれもほろぼすことはできぬ。2-17
われらの身体は終わりを迎える。だがそこに宿る自己は持続し、不滅であり、測りがたい。それゆえ戦え! アルジュナよ。2-18
クリシュナ、アルジュナ退場。代わってサンジャヤ登場。
サンジャヤ
 聖バガヴァッドはこのように語った……
だが、いまわれらが直面している課題に、だれも答えを知らない。課題は、あなたたち、ひとりひとりに突きつけられているのだ。いかなる文明であろうとも、いつか必ず滅びる。だが人間は、それに耐えて生きなくてはならない。滅びにいたる道は広く、新しき世界にいたる道は狭い。滅びにいたる道は目前にひろがり、新しき世界にいたる道は、目にはみえない。あなたたちにはそれがみえるか? いやみえまい。広く明るくみえる道しかみえまい。その道、行く先に何が待ち受けるか、あなたたちにはみえまい。だがそこに、待ちうける危機と試練のなかにのみ、真実は隠されている。そのさなかにのみ、聖バガヴァッドの姿がみえる。聖バガヴァッドの姿をみたものにのみ、新しき世界にいたる道はみえるのだ。いまあなたたちは、滅びにいたる道に進み入る。

サンジャヤ退場。

第二場 終末の時

サンジャヤ登場

サンジャヤ
 その時はやってくる。たとえ戦乱のさなかであろうとも、ひとつの閃きとして、その時はやってくる。
もはや、あなたたちは覚えてはおるまい。一瞬の炎に焼きつくされた街々を、何万というひとびとを、あの戦慄の瞬間を。
そしてその時はやってくる。さりげない日常のさなかといえども、天よりの閃きとして、その時はやってくる。
いまや、あなたたちも記憶しているに違いない。一瞬の破壊に舞いあがる、目に見えぬ無数の塵を、透明な蒼空から降り注ぐ、目に見えぬ恐怖を。
人間が解き放ってしまった、それが宇宙の強大なカーラなのだ。すなわち時であり、すべてを支配する死であるのだ。
すべてを支配するこの宇宙のダルマ、宇宙の法を知らなくてはならない。人間のダルマ、人間の法も、宇宙の法にそむくことはできない。
人間の法を超えて、宇宙の法がきらめく一瞬がある。あなたたちはいま、その瞬間に立ち会うのだ! 「今日はこれを得た。欲しいものはもっと手に入れる。
この富はおれのもの、あの富もおれのものに。」
サンジャヤ アシュラなるものらの声が聴こえる。いたるところで、いたるところで。だが、その時はやってくる。その時はやってくる。
 「おれはあの敵を殺した。もっと多くの敵も殺す。
俺は権力者、俺は快楽者。」
サンジャヤ だが、その時はやってくる。その時はやってくる。
 「おれは成功者、強者、幸福者。
俺は金持ち、ならぶものなき名門の生まれ。」
サンジャヤ その時はやってくる。その時はやってくる。必ず。
 「祭りごともしてやろう。施しもしてやろう、楽しみとしてな。」
サンジャヤ 聖バガヴァッドはいう。アシュラなるものらは、終わりなき雑念に混乱し、迷妄の罠に囚われ、欲望の充足に中毒し、非道の地獄の深淵に陥る、と。
 「今日はこれを得た。欲しいものはもっと手に入れる。
この富はおれのもの、あの富もおれのものに」……
サンジャヤ やがてその時はやってくる。必ず!
天空に千の太陽が輝くときが。偉大なる聖バガヴァッドの輝きに等しいその輝きが、やがてやってくる。11-12
 「今日はこれを得た。欲しいものはもっと手に入れる。
この富はおれのもの、あの富もおれのものに」……
アルジュナ登場
アルジュナ 世界に満つるこのさわがしい声はなにごとだ? 欲望を、快楽を謳歌するこの声はなにごとだ?
わが友にして御者なるクリシュナはいずこに? いま私には彼が見えない。世界に満つるこのさわがしい声がなにごとか、クリシュナよ、教えてくれ。
みずからの意志に反してまでも、力づくであるかのように、ひとをして悪に駆り立てるものはなにか? 3-36
そしてクリシュナよ、知ることが、知が、行為よりまさるというなら、なぜ私を戦いというおぞましい行為に駆り立てるのか、教えてくれ。3-1
サンジャヤ アルジュナは迷う。アルジュナは混乱する。友であり御者であるクリシュナが、この世から姿を消し、目に見えぬものとなったいま、この世のすべてを見透かし、この世のすべてを開示するものは、もはやいない。世界にとっての不幸、世界にとっての悲劇……だが、聖バガヴァッドを失った世界は、破滅に向かって突き進む。
 「おれはあの敵を殺した。もっと多くの敵も殺す。
おれは権力者、おれは快楽者、
おれは成功者、おれは強者、幸福者。
おれは金持ち、ならぶものなき名門の生まれ、
祭りごともしてやろう、施しもしてやろう、楽しみとしてな。」
サンジャヤ アルジュナは迷う。アルジュナは混乱する。目に見えぬものとなったクリシュナを求めて、世界をさまよう。
しかし、その時は必ずやってくる。天空に千の太陽が輝くときが。偉大なる聖バガヴァッドの輝きに等しいその輝きが。
アシュラなるものらには、そのめくるめく光しかみえぬ。目を射るその光しか……だがアルジュナにはわかる。千の太陽の輝きがなんであるか。聖バガヴァッドの輝きがなんであるか。アルジュナは目に見えぬクリシュナに語りかける──
アルジュナ 世界を変えるために戦わねばならぬ、おのれを変えるために戦わねばならぬ、とはいえ、私はまだ迷っている。
さもなくば、はたして世の終わりはやってくるのか? たとえ戦っても、世の終わりはやってくるのではないか?
あなたのことばを聴いても、私はまだ迷っている。至高なるものの主としての聖バガヴァッドよ、あなたの姿を示してください。
みずからについてことばで述べられたように、あなたの至高にして全能の姿を開示してください、クリシュナよ、至高なるものよ。11-3
もし私が見ることができるなら、あなたの不滅なるみずからを啓示してください、クリシュナよ、宇宙の原理なる主よ。11-4
クリシュナ、神の姿にて登場。
クリシュナ asapasasatair baddhah kamakrodhaparayanah
ihante kamabhogarthasamcayan. 16-12
(アシュラなるものらは、幾百もの幻影の罠に縛られ、欲望と怒りに専心し、
快楽をえるために、不正な手段によって富を蓄積しようとする)
idam adya maya labdham idam prapsye mnoratham
idam astidam api me bhavisyati punar dhanam
asau maya hatah satrur hanisye caparan api
isvaro ‘ham aham bhogi siddho ‘ham balavan sukhi
adhyo bhijanavan asmi ko ‘nyo ‘sti sadrso maya
yaksye dasyami modisya ity ajnanavimohitah. 16-13,14,15
(アシュラなるものらは、無知に迷ってかくいう。
今日はこれを得た。欲しいものはもっと手に入れる。この富はおれのもの、あの富もおれのものに。おれはあの敵を殺した。もっと多くの敵も殺す。おれは権力者、おれは快楽者、おれは成功者、強者、幸福者。おれは金持ち、ならぶものなき名門の生まれ、祭りごともしてやろう、施しもしてやろう、楽しみとしてな)
アルジュナよ、幾百幾千のわが姿を見よ。多彩にして多様にして、神々しくも変化[へんげ]するわが姿を! 11-5
アルジュナよ、宇宙すべてを見よ。生きとし生けるもの、生きざるものすべてを。おまえの見たいものすべてを。万物は私の身体に宿っている。11-7
おまえの目で私を見ることはできないが、わが宇宙の原理を見せるため、おまえに聖なる眼をあたえよう。11-8
アルジュナ、サンジャヤ、うやうやしく一礼して退場。
突如として、めくるめく光と大音響。怒りの神に変貌したクリシュナが、恐ろしい姿を現す──
クリシュナ われ、世界を滅亡に導く大いなる死、大いなる時なり。諸世界を打ち砕くためにここに来たれり! 11-32
kalo ‘smi lokaksayakrt pravrddho
lokan samahartum iha pravrttah!
世界の破滅のヴィジョンと神々の怒り、それはしだいに神々の哄笑に代わり、宇宙に哄笑の渦が満ち溢れる。恐ろしい神の姿のクリシュナ退場し、やがてすべては沈黙と闇に収斂する。

第三場 瞑想

はじめ登場者なく、すべて声のみ。
サンジャヤ [静かに]divi suryasahasrasya bhaved yugapad utthita
yadi bhah sadrsi sa syad bhasas tasya mahatmanah
(天空に千の太陽が輝くときが。偉大なる聖バガヴァッドの輝きに等しいその時が、やがてやってくる)
アルジュナ [静かに]滅びの狂気に囚われた蛾が、燃え盛る炎に飛び入るように、クリシュナよ、滅びの狂気に囚われた世界は、おんみの口に飛び入る。11-29
tvam aksaram paramam nidhanam
tvam avyayah saavatadhamagopta
sanatanas tvam purso mato me
([クリシュナよ]おんみは不滅のもの、最高の知、全世界のよりどころ、御身は不滅なるもの、法の永遠の守護者、永遠の本質である)
サンジャヤ いまや瞑想のとき、偉大なる時の神、聖バガヴァッドの教えを胸に、聖なる音マントラを唱え、過ぎしとき、来るべきときを瞑想する時間。
[それぞれの声でマントラ]OM[眉間]……YAM[喉]……RAM[心臓]……HAM[臍]……VAM[骨盤]……LAM[ムラダーラ、丹田]……([]内はそれぞれの神経叢[チャクラ]の位置)
クリシュナ静かに登場、舞台中央で蓮華座を組む。
クリシュナ ひとは不滅の菩提樹について語る。空中に根があり、下方に枝がある。その葉は神々への讃歌であり、その樹を理解するものは真理を知る。15-1
その枝は下にも上にも伸び、自然の本質に養われ、感覚に触れられるものとなって芽吹く。空中の根は諸行為によってもつれ、人の世へと降りる。15-2
だがこの樹のかたちを、この世のものは理解できない。どこが終わりでどこがはじめか、またなにが究極の大きさなのか。深き根をもつこの樹を、無執着という名の鋭い斧にて断ち切れ。15-3
それにより、ひとたびそこに入らば、もはや戻ることなき王国を探求せよ。「それによりおまえは、原初の諸活動が溢れでた、人間の最初の精神に近づくものと思え」15-4
慢心も迷妄もなく、執着の誤りも超え、自身の内面に専心し、欲望を退け、喜びと苦悩の二元論を克服したものは、この不変の王国にいたることができる。15-5
心にある欲望をすべて捨て、自らの存在の奥深くにむかうとき、知は確立するのだ。2-55
不幸に悩まず、幸福を切望せず、愛着、恐怖、怒りを離れたひとは、知を確立した聖者である。2-56
自らの存在の奥深くにむかわぬものに、知はなく、瞑想もない。瞑想なきものには、静寂はない。静寂なきものには幸福はない。2-66
海に水は流れ込み、海は満たされるが、海は不動である。聖者にもすべての欲望は流れ込むが、聖者は不動であり、静寂である。欲望を求めるものに不動はない。2-17
万物の夜、おのれを制御する聖者は目覚める。万物が目覚めるとき、万物は聖者の夜となる。2-69
サンジャヤ(声のみ) 迷妄と幻影から解き放たれたものにのみ、静かに流れる時間を聴きとることができる。聖バガヴァッドの時間の王国、時間の大伽藍に足を踏み入れよう。
そこでは、死者たちの声さえも聴くことができる。なぜなら解き放たれたものは、生と死との二元論を超え、生と死との輪廻の鎖を断ち切ることができるからだ。
死者たちを悼んでアプサラが、天女が舞う。聖バガヴァッドの時間の大伽藍、星々のきらめくその円蓋をめぐって……
クリシュナ 死は生まれくるものにとって確実であり、生誕は死者にとって確かなものである。この循環を避けることはできないがゆえに、嘆くことはない。2-27
繰り返していう。存在しないものが生成することはなく、存在するものが生成しないことはない。この二つの区別を知るものは、真の実在を知るものなのだ。2-16
このすべてにあまねく満ちひろがるものは不滅であり、この不滅の実在をだれもほろぼすことはできぬ。2-17
われらの身体は終わる。だがそこに宿る自己は持続し、不滅であり、測りがたいのだ。2-18
サンジャヤ(声のみ) 不滅の時間、不滅の空間にアプサラが、天女が舞う。時間を超越した死者たちの不滅を讃え、アプサラが、天女が舞う。聖バガヴァッドの時間の王国、時間の大伽藍、星々がきらめくその円蓋をめぐって……
クリシュナ 太陽として輝き、月として、また火として輝くもの、それらはわが輝きであり、全宇宙を照らすものであることを知れ。15-12
われは大地に浸み透り、わが力にて被造物を支え、月の雫なるソーマの酒となり、薬草すべてとなって世界を養う。15-13
われは生きとし生けるものすべてに宿る火にして、ひとが摂取するすべての食べ物を消化する生命の息吹なり。15-14
われはすべてのものの心深きに住み、記憶、知識、理知はそれより生ず。すべてのヴェーダの知は、わが知として知られ、われはそれらすべての究極の知なり。15-15
世界には二つの様相あり、はかなきものと不変のものなり。すべての被造物ははかなきものに、不変のものは存在するもののいただきにあり。15-16
はかなきもの、不変のものをさらに超えた、至高の様相こそわれなり。三つの世界に入り、それらを保持する至高の主なり。15-17
サンジャヤ(声のみ) 至高の主を讃えよ。聖なる音、マントラを唱えよ──
OM……
アルジュナ登場、クリシュナに相対して蓮華座を組む。
クリシュナ 迷妄から解き放たれ、われをこの至高の様相と知るものはだれも、これらすべての真理を知るものにして、存在のすべてを賭けてわれを信愛するものなり。15-19
このようにして、われはもっとも深き教えを説いた。アルジュナよ、これを体得したものは、目覚めたるものとなり、その目的を達するなり。15-20
アルジュナ(うやうやしく一礼し) あなたの前から、後ろから、いたるところから、全能のあなたに敬礼する。かぎりなき力と活気に満ち、あなたはみずからが統べるすべてを成就する。11-40
あなたを友とばかり思い、「おおクリシュナよ、おお友よ、来たれ」などと、あなたの偉大さに無知なるあまり、ただ信愛の情から無礼にも言ったことを、深くお詫びする。11-41
だが、ふたたび温和な人間の仮の姿に戻ったあなたを見て、わたしは本性を取り戻し、平常心に復帰した。11-51
クリシュナ おまえの見た私の恐ろしい姿は、だれも見ることはできない。神々ですらそれを見たいと切望している。11-52
宇宙の真理としての私を見ることは、だれにもできない。だがその恐ろしい結果はだれもが目にし、震えおののく。
恐ろしい結果をもたらす原因が、いま目の前にあっても、だれも気づかない。ただ、真の知を体得したもののみに、見ることが許される。
だが、だれもその予言を信じない。だれもその恐ろしい結果を予知することはできない。アルジュナよ、それが戦わなくてはならないほんとうの意味なのだ。
アルジュナよ、すべての執着を捨て、静かに戦うのだ……
クリシュナ、アルジュナ、幽暗のなか静かに退場。
幽暗のなか、聖なるマントラのみ静かにひびく……

終結の場 死と再生

サンジャヤ、現代であることを暗示する服装で登場。
サンジャヤ 『バガヴァッド・ギーター』が生まれて約二千年、聖バガヴァッドが告げた恐ろしいことばは、いまや現実となった。一九四五年、ニューメキシコ・トリニティ・サイト実験場での世界最初の原爆実験、目もくらむ大爆発の瞬間、実験に立ち会った物理学者オッペンハイマーは、聖バガヴァッドの告げる声を、耳の奥でたしかに聴いた。
クリシュナ(声のみ) kalo’smi lokaksayakrt pravrddho
Lokan samahartum iha oravrttah.
われ、世界を滅亡に導く大いなる死、大いなる時間なり。諸世界を打ち砕くためにここに来たれり。
サンジャヤ ヒロシマ・ナガサキだけではない。聖バガヴァッドの時間の大伽藍に刻まれた碑文には、チェルノブイリ、フクシマの文字も見える。それにつづく文字は、われらには見えない。聖バガヴァッドのみが知る。
かつて『マハーバーラタ』の十八日にわたる決戦に勝利したが、その後ヒマーラヤにて死んだ英雄アルジュナは、シャーンティ、すなわち静寂である平和こそが、人間の究極の目的であることを悟った。
この騒がしい平和はなんだ? 争い、競争、欲望と快楽の追求、嫉妬と悪意の渦巻くこの騒がしい平和はなんだ? アシュラなるものらの騒がしい平和は、アルジュナの求めたシャーンティではない。
シャーンティはどこにある? 欲望や執着を断ち切ったものたちにのみ許される、静寂である平和、シャーンティはどこにある? それは幻の理想境なのか? この世には存在しないものなのか?
アシュラなるものらの文明はやがて終わると、聖バガヴァッドは告げている。アシュラなるものらの文明には、欲望や執着を断ち切るすべがない。アシュラなるものらの文明は、ただ欲望を肥大させるのみだ。
アシュラなるものらの文明は、ひたすら利便と快適さを追い求め、母なる地球、母なる大自然を収奪し、目にみえない彼女の怒りに無頓着に、みずから炎に飛び入る蛾のように、終末に向かっている。
いま、この場に、アルジュナとクリシュナが現れ、その対話、つまり現代の『バガヴァッド・ギーター』を繰りひろげたとすれば、彼らはなにを語っただろうか? 聖バガヴァッド・クリシュナはなにを語っただろうか?
サンジャヤ退場。本来の衣裳のクリシュナとアルジュナ登場。
アルジュナ ここは世界の屋根、世界のいただき、ヒマーラヤ、二千年前と変わらず、神々しい白銀の姿でそびえる。
人にとっては永遠の姿、だがヒマーラヤも、生まれ、育ち、やがて崩壊する。神々にとってはそれも、手の一振りの時間にすぎない。
まして一瞬のまばたきでしかない人の世は、二千年といえどもはかない。だが、人ひとりひとりにとっては、一日でさえかけがえのない時間。
この静寂、この平和、シャーンティ、ここでこそ、暴力も権力も、なんの意味も、なんの役割ももたない。
ここでこそ、かぎりなき欲望も執着も、富も名声も、憎悪も敵意も、競争も差別も、なんの意味も、なんの役割ももたない。
ここでこそ、ひとの創意や創造、溢れるほどの想像力、ひとびと相互の思いやり、ゆたかな感性が磨かれ、発揮できるのだ。
この静寂、この平和、シャーンティ、ひとりひとりの心に、この平和が取り戻されてこそ、長きにわたる人類の夢が実現できるのだ。
[客席に語りかける]
いま、あなたがたにとっては、それは見果てぬ夢でしかない。子供の頃、あるいは成人となり、失意や傷心のなかで、一度は夢見た夢である。
だが、いまあなたがたにとって、この現世、直面している現実こそ、唯一のリアリティであると信じているにちがいない。
だが、いまあなたがたにとっては、直面しているこの現実こそ、ひとつの夢、おそらく悪夢である夢かもしれない。
いまもし、あなたがたが向こう側の世界から眺めたら、やがて終わりを告げるこの現実こそ、夢、おそらく悪夢であることがわかる。
[クリシュナに語りかける]
クリシュナよ、向う側の世界とはなにか? この現実とはちがう、真のリアリティとはなにか? 教えてくれ。
この静寂、この平和、シャーンティ、この境地に達したものにのみ、見ることを許される、向う側の世界とはなにか?
クリシュナ 自我、暴力、自尊心、欲望、怒り、所有欲すべてを捨て、非所有の境地、シャーンティの境地に達したものは、ブラフマン、宇宙の真理と一体となる。18-53
宇宙の真理と一体となったものは、澄み切ったものとなり、もはや嘆かず、切望もせず、なにものにも偏見をもたず、われを信愛する。18-54
死を超え、生を超え、われは不変であり、万物の主であり、おのれの本質にもとづき、マーヤーの力をふるい、みずからこの力に乗って出現する。4-6
宇宙の主は、万物の心に宿りながら、マーヤーの力により、万物をからくりに乗せ、回転させ、宇宙を廻すのだ。18-61
アルジュナ そうだ、マーヤーなのだ、マーヤーなのだ!
[客席にむかって]
あなたがたは、この世界がマーヤーの世界、迷妄の世界であることを、つねに忘れている。
向こう側の世界から、この世を見ることを知らないあなたがたは、マーヤーのつくりだす日常に慣れ、それをうたがいもしない。
だがこの世でも、マーヤーの帳[とばり]が破れる一瞬がある。ときには死と破壊の女神カーリーの黒き面[おもて]が示す、母なる大地の怒り。
マーヤーの世界がつくりだす、無数の人工物が、それらの大災害を拡大し、文明の終末の予感を眼前にする。
あなたがたはそれを、見たばかりなのだ。母なる大地の怒りを、カーリー女神の死と破壊の恐怖を。
その一瞬だけ、マーヤーの帳は破れ、宇宙の真理、大自然の真理がかいまみえる。そのほんの一瞬だけ。
だが、恐怖が過ぎ去り、恐ろしい女神の黒き面が消え、やがてあなたがたは、ふたたびマーヤーの世界に安住する。
マーヤーの世界は居心地がよい。マーヤーの世界は感覚をくすぐる。マーヤーの世界は、あなたがたを甘やかす。
[クリシュナにむかって]
クリシュナよ、ブラフマンとはなにか、宇宙の真理とはなにか、そこに宿るシャーンティ、静寂と平和とはなにか、教えてくれ。
クリシュナ おまえの存在すべてを賭けて、宇宙の主にのみ帰依せよ。その恩寵によっておまえは、永遠の平和、永遠の静寂、シャーンティにいたるのだ。18-62
私が教えたこの知は、秘中の秘であり、それを熟読玩味してのちに、おまえの欲することを行え。18-63
シャーンティにいたったものは、マーヤーの力から離脱し、マーヤーの世界を動かすものを、こちらから自由に眺めることができる。
宇宙の主、ブラフマーの世界にいたるまで、諸世界はめぐりつづける。だが私に到達したものは、もはや再生のくびきから解き放たれる。8-16
宇宙の主、ブラフマーの夜明けには、万物は目にみえぬ物質より生じ、彼の夕べには、万物は目にみえぬ物質へと帰一する。8-18
宇宙の主、ブラフマーの夜には万物は、否応なしに消滅し、彼の夜明けには、万物は目にみえぬ物質よりよみがえる。8-19
だが、この目にみえぬ物質を超えて、もうひとつの目にみえぬものがある。万物が消滅しても、それは永遠に消滅しない。8-20
それは、目にみえぬ永遠の本質、アクシャラとよばれる。それは最高の境地であり、そこにいたればもはや死と再生もない、わが至高の王国なのだ。8-21
それは、ひたむきな信愛によってのみえられる至高の精神、プルシャであり、万物はそこにやすらい、全宇宙がそこからひろがる。8-22
シャーンティとは、そのようなものであり、宇宙の真理を体得したものの平安である。アルジュナよ、おまえはすでに、そこにいたっている。
だから告げよ、宇宙の法にそむくものの悲惨な末路を、宇宙の法にしたがうものの心ゆたかな未来を、シャーンティの支配する彼らの王国を。
アルジュナ[客席に向かい、あるいは客席に降りて歩きながら] 聖バガヴァッドはこのように語った。
宇宙の主、ブラフマーの目にみえぬ物質とはなにか、その目にみえぬ永遠の本質、アクシャラとはなにか、を。
それを知るためには、聖バガヴァッドのこれらのことばを、現代のことばに翻訳しなくてはならない。
われらの目にみえる物質やエネルギーは、全宇宙の数パーセントにすぎず、残りすべては目にみえぬダーク・マター、ダーク・エナジーなのだ。
それはいま、あなたがたの身体にも宿り、あなたがたに影響をおよぼしている。それがなんであるか、いまなおだれも知らない。
あなたがただけではない。それがなんであるか、科学者たちでさえ知らない。ブラフマーの大宇宙とは測りがたいものなのだ。
それはまた、別の宇宙からのメッセージであるかもしれない。あなたがたは、みずからのうちに、それを感じとらなくてはいけない。
それはなにを語っているのか、それはなにを告げているのか、それはあなたがたに、なにを教えているのか。
それはシャーンティを、永遠の静寂と平和を告げているのかもしれない。それはアクシャラ、その至高の境地を教えているのかもしれない。
もし人類が、宇宙の法にそむくことを辞め、宇宙の法にしたがう道を選んだとすれば、ひとりひとりの心にシャーンティは宿る。
ひとりひとりの心にシャーンティが宿れば、社会に、国に、全世界にシャーンティが宿るにちがいない。
それこそが古来、人類が夢見ていた理想境、ユートピアの実現にほかならない。あなたがたはどの道を選ぶのか。
あなたがたは、いままさに、その文明の岐路、文明のクロスロードに立っているのだ。それを忘れてはならない。
聖バガヴァッドの最後のお告げを聴こう!
クリシュナ[荘厳に] 宇宙の法が衰え、宇宙の法に逆らうものが栄えるとき、何時でもわれは出現する。4-7
ada yada hi dharmasya glanir bhavati Bharata
abhyutthanam adharmsya tadatmanam srjamy aham.
われ、世界を滅亡に導く大いなる死、大いなる時間なり。諸世界を打ち砕くためにここに来たれり。
kalo ‘smi lokaksayakrt pravrddho
lokan samahartum iha pravrttah.
[全幕終了]

(注) 文末の数字は『バガヴァッド・ギーター』原文からの引用であることを示す。たとえば4-7とあれば、第四章第七節を指す。ただし重複するものは、初出のみ数字を付した。数字のない文は北沢の創作である。
『ギーター』原文の翻訳は、次の三種類の翻訳を参照し、私自身の解釈と判断で行った──

The Bhagavad Gita in the Mahabharata. Translated and edited by A.B.van Buitenen, 1981, The University of Chicago, Chicago.
The Bhagavad Gita; Krishna’s Counsel in the Time of War. Translated by Barbara Stoler Miller, 1986, Bantam Books, New York.
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳 岩波文庫 一九九二年

ヴァン・ビュイテネンの英訳書は、ローマ字化されたサンスクリット語原文との対訳となっていて、引用サンスクリット原文はこれから引用させていただいた。
また原文のリズミカルな韻文を、自由詩の形で訳したストーラー・ミラーの美しい訳文は大いに参考にさせていただいた。
上村勝彦による岩波文庫版邦訳の詳細な訳注は、解釈にあたって貴重な手掛かりとなった。
いずれの訳書にも深く感謝するしだいである。