慰安婦問題の本質を考える

「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」の中止は残念でした。芸術監督が津田大介氏だっただけに、もう少し頑張ってほしかった。電話やネットでの攻撃の有効性を認めてしまう結果になったのは、無念というほかありません。津田さんも同じ思いであるのでしょうが。

問題のひとつは、韓国の慰安婦をモチーフにした作品「平和の少女像」であったわけですが、慰安婦像はある意味で、かつての日本の戦争を考えるうえでのリトマス試験紙のような気がします。映画『主戦場』を観て、その思いはいっそう強くなりました。

慰安婦の少女像は、きりりと未来を見つめ、清潔で強さを秘めた表情をしています。「平和の少女像」と解釈した韓国人彫刻家夫妻の気持ちはよく分かりますし、私は「人間の尊厳と人権の象徴」ではないかとも考えたりします。そして「日本の植民地主義の象徴」としかとらえられない人たちは、この慰安婦像を嫌悪します。

ドキュメンタリー『主戦場』をつくったミキ・デザキという日系人は、慰安婦問題がよく分からなかったといいます。それで、論争の渦中にいる人たちを訪ねてインタビューを重ねた。上智大学大学院の卒業制作という名目もあったためか、左右の論客ともじつに率直に意見を述べています。その内容もさることながら、語る主体の人間性も垣間見られるのは、映像の強みでしょう。この点でも歴史修正主義者たちは分が悪い。

私がこの映画を評価する理由のひとつは、慰安婦問題の複雑化の背景に、韓国社会を通底する儒教思想があるのではないかと、問題提起している点です。慰安婦の証言はときに矛盾して信用できないといわれますが、その裏には、女性の純潔を絶対とし、さらには強固な女性蔑視の考えがあるといいます。それに、自分を犠牲にして家族に尽くすという考えも、慰安婦を生んだ土壌ではないかという、パク・ユハ教授の発言も紹介しています。

いずれにしても、日本の軍隊と仲介業者は、そのような儒教思想をも利用して、韓国の若い女性を慰安婦として徴用した。「強制連行」の証拠はないと日本の政府はいいますが、都合の悪い書類は焼却しています(70%の書類は焼いたという証言もあります)。慰安婦はお金をもらっていた、映画や買い物を楽しんでいた、そんな奴隷がありますか、と杉田水脈議員は言いますが、それもすべて監視下でのことです。自由のない「性奴隷」であったことは紛れもありません。

あと印象的だったのは、歴史修正主義者たちの人種差別意識です。嘘について、嘘をつく方が悪いと考えるのが日本人で、騙される方が悪いと考えるのが韓国人や中国人だといいます。倫理観が高い日本の軍隊が悪いことをするはずがない、というおそろしくずさんな論理思考にいきつきます。デザキは嘘に関して韓国で街頭インタビューをして、嘘をつく方が悪いに決まっているという何人かの若者の回答を紹介しています。総じて、歴史修正主義者たちの感情的な非論理性が目立ちます。彼らの発言に説得力がないのは当然のことだと思います。

映画の最後でデザキは、次のように警告します。慰安婦像を嫌悪する歴史修正主義者たちの背景には日本会議があり、そのメンバーやシンパが現政権の主流を形づくっている。彼らが進める再軍備はアメリカの戦争との共闘にいきつく。日本は、いまそんな危険な道を歩みつつあるのだ、と。

2019年8月9日 於いてUPLINK吉祥寺

2019年 アメリカ映画
監督:ミキ・デザキ
脚本:ミキ・デザキ
製作:ミキ・デザキ、ハタ・モモコ
ナレーター:ミキ・デザキ
音楽:オダカ・マサタカ
撮影:ミキ・デザキ
編集:ミキ・デザキ

2019年8月10日 森淳