安楽死を考える——映画『君がくれたグッドライフ』とNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』

仲間が集まり、年に一度の自転車旅行に出かけようとしている。行く先はベルギー。誰かが「今回はどうしてベルギー?」と問いかける。まあベルギーにもいい所はあるさ、と気軽な旅がはじまる。しかしながらこの旅は、途中から思わぬ展開をみせる。それは、旅の目的地ベルギーに関わっていた。

ベルギーは、世界でも稀な、安楽死を認めている国である。今回の旅を企画したハンネスは、安楽死の目的で、行く先をベルギーに選んだのだった。彼は36歳、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていて、残り少ない余命となっていた。仲間は旅の途中でその事実を知り、動揺する。とりわけハンネスの弟は激しく反対する。結局は自転車の旅は続けられて、仲間6人すべてがベルギーに到着することになるのだが。

ハンネスが安楽死を決断するまでには、さまざまな出来事があったはずである。彼の死生観、それは宗教観や哲学ともかかわっていたはずだし、家族とは数知れない会話を交わしたに違いない。ところがこの映画は、その背景を一切省略している。妻は旅の仲間のひとりとして、母親は安楽死に立ち会うひとりとして映画には登場するが、ハンネスの決断にどう関わったかは語られることはない。この映画は、安楽死という非日常的なテーマを扱っていながら、それを徹底的に日常のものとして表現しているのだ。

死をも自己決定の権利としたい、この考えが安楽死の背景にはある。ハンネスは、少なくとも仲間と自転車旅行ができる段階で死にたいと思った。これからあとの車椅子での生活、ベッドの上での身動きもままならない生活、少なくとも彼は、そんな状態になる前に、仲間に見送られて死にたいと考えたのだった。

この映画を観た1週間後の深夜、NHKで安楽死を追ったドキュメンタリーが放映された。これは、安楽死の決断までをも追跡した内容で、死とはなにか、さらには生きるとはなにかを、深く考えさせられた。

多系統萎縮症を病んだ51歳の女性は、スイスでの安楽死を計画している。彼女はすでに車椅子の生活で、話すことにも困難を抱えている。身体の痛みも激しい。その入院生活をふたりの姉が支えている。「いまはまだ有難うと表現できるけれど、それさえも言えない状態は耐えがたい」と言う。ソウル大学を出て、通訳などで活躍してきた彼女にとって、なにもできずに天井を見上げたままの生活は考えられなかったに違いない。

自殺未遂を繰り返したあげく、スイスでなら安楽死ができるという情報を得る。ふたりの姉は戸惑うが、彼女の意思の堅さには従う他はない。飛行機の旅に耐えられるギリギリの状態でスイスに飛び、彼女は姉たちに看取られて、安楽死をとげたのだった。眠るような安らかな死。観ている私も、死の恐怖から解放される。

彼女も、映画のハンネスと同様、自らの意思が明確に示せる段階で、安らかに死にたいと願った。彼らにとって、それが人間の尊厳ということだったに違いない。一方、NHKのドキュメンタリーでは、同じ病に苦しむもうひとりの女性をも追っている。呼吸器をつけられ、胃に管を通されて、意思表示はまばたきでしかできない。母親と娘が看病している。

ところで、どこの国が安楽死を認めているのか。調べてみると、ベルギー、スイスのほか、オランダ、ルクセンブルク、カナダの5か国である。2001年に承認したオランダが一番歴史は古いが、2017年現在、安楽死は全死亡者の4.4%を占めるという。今後さらに増えるということだ。死に方の選択肢が増えたという意味でも、これはいい傾向だと考える。

私は自らの判断力を失った状態で生きていたいとは思わない。認められるものなら、安楽死をしたいと願う。しかし、愛する人には、たとえ脳死状態であっても生き続けてほしいと思う。この矛盾はいったいなんだろう。人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。だが死は、必ずしも個人のものではないのではないか。家族や友人など、死は人間関係のなかにあるのだろうか。

NHKドキュメンタリーの最後で、まばたきでしか意思表示のできない女性が、咲き誇る桜を観て涙を流す。母親と娘はそれを見て、「桜を観て泣いているよ」と明るく笑うのだった。

2019年10月19日 於いて風行社

『君がくれたグッドライフ』
2014年ドイツ映画
監督:クリスティアン・チューベルト
脚本:アリアーネ・シュレーダー、クリスティアン・チューベルト
出演:フロリアン・ダーヴィト・フィッツ、ユリア・コーシッツ、ユルゲン・フォーゲル、フォルカー・ブルッフ、ヴィクトリア・マイヤー、ヨハネス・アルマイヤー

NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』
2019年10月25日再放送(初回は6月2日)

2019年10月28日 j.mosa