家政婦クレオが守った「家」——アルフォンソ・キュアロン『ROMA/ローマ』

幼少期のことを思い出すことがある。小川で魚を釣ったこと。昆虫採集で野山を駆け回ったこと。5月の浜辺で潮干狩りをやったこと。これらの光景は、すべてモノクロームである。灰色、あるいは、セピア色。この映画『ROMA/ローマ』が、全編懐かしいモノクロームなのは、監督キュアロンの幼少期の思い出と関わっている。彼の人格を形づくったもの、その根源が幼少期にあることをこの映画は物語っている。

舞台は1970年代初頭のメキシコ。ローマとは、メキシコシティー近くのコロニア・ローマ地区のことである。医者という中産階級の家庭。夫妻には4人の子どもと母親があり、家政婦が2人いて、運転手もいる。一番幼い、気の弱そうな男の子が、おそらくキュアロンだと思われる。

映画は、若い家政婦クレオの目を通して描かれている。彼女は、食事の支度から掃除、洗濯と、いわば家政婦の仕事全般をこなす。家族団欒の席にも同席するなど、あたかも家族の一員のようでもある。階級意識の比較的薄い家族であるようだ。

幸せそうな家庭の、平凡な日常。小さなほころびが見え隠れするものの、それが家族の平和を壊すほどのことはない。映画を観るものの多くの家庭がそうであるように。そして、小さなほころびが成長して、やがて家族の平和を脅かす。家族は平静を装い、日常を保とうとするのだが。

この映画の優れたところは、誰もが経験する家族の日常の揺れを、冷静に、坦々と、ある意味で冷酷に描いている点にある。それは、家族の一員であり、また、一員ではありえない、家政婦がとりえた、特異な視点といえよう。

夫は学会のための出張と称して、家に帰ることがない。妻の惑乱。子どもたちに不安は伝染する。子どもが育つ環境には平穏が必要である。母親はその暖かさを与えることができない。

冒頭に掲げたチラシには、この映画のある場面が切りとられている。クレオを中心にして、家族のすべてが寄り添っているこの画像こそが、この映画に託した監督キュアロンの思いを明確に伝えている。キュアロンは、いや彼ばかりではなくこの家の子どもたちは、クレオの愛によって育てられた。

クレオの愛はどこから来るのか。何に根ざしているのか。恋人に裏切られ、望まない妊娠をし、死産に至る悲劇は細かに描かれているものの、クレオの情の深さの根源をついに私たちは知ることはできない。

そして、この家の誰も、クレオの実像を知らないのだ。いつ、どこで生まれたのか。兄弟は何人いて、父母は健在なのか。そんな家政婦に救われたこの家の人たち。キュアロンの複雑な思いは、映画に深い陰影を生み出した。

この映画は、社会性を帯びた、一映画監督の自伝でありながら、美しい一編の詩に昇華されている。第75回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第91回アカデミー賞で監督賞、撮影賞、外国語作品賞を受賞した。

2019年5月7日 於いてUPLINK吉祥寺

2018年メキシコ・アメリカ映画
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ
撮影:アルフォンソ・キュアロン

2019年8月3日 j.mosa