ノルウェーの作曲家グリークの作品に『過ぎた春』というのがある。

郷愁のようなものを感じるこの曲の旋律を聴いていると、今年の過ぎた春ではなく、昔の春のこと、あれこれが記憶の底からあらわれてくる。30年前にはウグイスの声をこの東京の我が家でも聞けたものだったこと。渋緑のメジロはかなり最近までよく来ていたが、見かけなくなってしまった。その頃、つまり初春の頃だが、冬眠から目覚めたガマガエルの鳴き声を聴きながら、自分も目覚める朝というのも、嬉しいものだった。まだ、庭には1匹いるのを最近見かけたのだが、1匹では発声する気にならないらしく、声を聴かせてはくれない。

東京の我が家に今も住むガマガエル

蜂もめっきり少なくなった。ある時期まではお尻が黒いちょっと珍しい太った蜂が毎年訪問してくれていたのだが、これも2,3年前からは見かけなくなった。なんとなく呼ばれたような気がして庭に出ると、その蜂が花の蜜を求めて忙しげに飛び回り、わずかな滞在で他所に飛びたって行ったものだったが…

ネットで検索したら、この蜂の名前はクロマルハナバチというらしい

農薬などの使用で鳥たちの鳴き声が聞こえない春―『沈黙の春』をレイチェル・カーソンが世に問うたてからもう半世紀が過ぎた。その後も排気ガスやら放射能による汚染も加わったし、次々と家が建ち並んだことで、土も樹木も消え、生き物たちが都会で住み続けるのはとても厳しい。そんな世界が来るとは、彼らもそして私たちの祖先も、想像すらしなかったであろうに…