『どっこい生きてる』

市立図書館の貸し出しDVDコーナーで手にとったこの作品。見たいと思った理由のひとつは、主演リストに河原崎長十郎と中村翫右衛門が並んでいたから。そう、『人情紙風船』のあの二人だ。それともうひとつ、ケースに挟まれた小冊子の解説に、「1口50円の出資者を募集して400万円の製作費で作られた」の一句が躍っていたから。今ならさしずめクラウドファンディングというところか。

今井正による初の独立プロ作品で、イタリア映画『自転車泥棒』(監督ヴィットーリオ・デ・シーカ)に影響を受けたという。そういえば、失業者が仕事を求めて群がる戦後の光景といい、かたや質から出した商売道具の自転車を、かたやせっかく集めてもらった義援金を、どちらもあっさりと盗まれてしまう展開といい、底辺を生きる人間のみじめさを忠実に描いている。

日伊は枢軸国で敗残の戦後を共有するから、類似性があるのも頷けるところだ。とはいえ、東京のほとんど廃墟と見まがうバラック群とイタリア都市の堅牢な建築群との差は大きい。今井監督がそれを意識したかどうかは知らないが、たとえば、東京のどぶ川を浚う労働者(かつてニコヨンと称された)を追うカメラの位置は水面すれすれで、今井の姿勢を代弁しているような気がする。

さて、この『どっこい生きてる』だが、お分かりのように舞台は第二次大戦後間もない東京で、日々の糧を求めて職安に殺到する人々を描く。ストーリーは、まじめ一方で不器用な毛利(河原崎)を中心に、怪しげな仕事や博奕でうまく立ち回る花村(中村)、飯場を切り盛りしたり毛利の窮境を知って募金を集めたりする秋山の婆さん(飯田蝶子)らが絡んで進展する。

毛利は、なけなしの金を盗まれたり、家主から立ち退きを強要されて妻子を田舎に送ったりしたあげく、万策尽きて一家心中を決心する。遊園地に子供を誘い子供の水死を演出しようとの心算であったのだが、ふとしたことから子供が勝手に溺れ、わが意に反して逆に助けてしまう。その結果、映画の冒頭と同じように日々職安に殺到する一人に立ち戻ることになる。さて、「どっこい生きてる」とは誰のことだろうか?

まさか助かった子供ではあるまい。毛利の子供には生き残ろうとする意志の強さは微塵も感じられない。では父親の毛利なのか。それも違うと思う。毛利は「どっこい」の語感にみなぎるしぶとさとは無縁の男だ。しぶとく生きているのは、主人公らしき毛利でなく、花村や秋山の婆さんを典型とする、終戦直後のその日暮らしの労働者たちではないだろうか。すなわち、今日を生きることが至上命令の、当時の日本の底辺層そのものこそが映画の主人公なのだ。してみれば、映画宣伝ポスターの写真が主人公役の毛利ではなく、工事現場で泣き笑いコンビを演じる花村と秋山の婆さんになっていることにも合点がいく。

それにしても、飯田蝶子の笑い顔のなんと見事なことか。名優の哄笑に乾杯。

1951年 監督 今井 正

 

むさしまる