LD時代の歌姫たち
エディタ・グルベローヴァが亡くなった。享年74歳。昨年のミレッラ・フレーニに続いて、私のLD時代の歌姫がこの世を去るのは、なんとも寂しい。わけても、グルベローヴァは同年代であるゆえに、その寂しさはひとしおである。
LDというのは、パイオニアが開発したレザー・ディスクのことで、30cmの大盤に、片面1時間の映像が収録できた。そのソフトにはオペラ作品が結構あって、1枚か2枚に1作品が収められていた。
1セット1万円以上もしたのだが、音質・画質とも悪くはないので、オペラ好きはこぞってLDを買い求めた。私も例外ではなく、小遣いを貯めてはLDを買ったものである。そして、友人たちと貸し借りをして、オペラを楽しんだ。
しかし、LD時代は長くは続かなかった。1980年代から90年代の前半、せいぜい10年間くらいであったろうか。デジタル技術が進んでDVDが出現するに従い、急速に姿を消すことになる。我が家のプレーヤーも故障したままで、百数十枚のLDは押し入れの隅に仕舞われたままである。
さて、私にとってのLD時代の歌姫といえば、年齢順に、ミレッラ・フレーニ、キリ・テ・カナワ、そしてグルベローヴァである。LD時代の10年間は、テナーにも華のある歌手たちが多くいて、いわばオペラの黄金時代であった。パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの3大テノールも、キャリアの最盛期にあった。
『ドン・カルロ』は、ヴェルディの作品のなかでも、もっとも好きな演目である。フランスから政略結婚でフィリッポ2世に嫁いだエリザベッタは、ドン・カルロを超えて、この作品の真の主役だと思う。この悲劇の女王を歌って右に出るものがいないのが、フレーニではないか。義理の息子であるカルロへの恋情を胸に秘めて、非情な政治の世界に翻弄されるヒロインを、フレーニは見事に歌った。
とりわけ第3幕第3場、サン・ジュスト修道院の場面。エリザベッタは、カルロにフランドル行きを勧める。「新教徒を救うため、自らの使命を果たしなさい、我が息子よ」と歌うのだが、言葉とは裏腹に、カルロへの恋情が溢れる。音楽の力というものである。この場面ほどその力を感じさせる作品は稀である。それも、フレーニの歌があってこそ(1983年収録、指揮はジェームス・レヴァイン)。
『フィガロの結婚』でスザンナのフレーニと共演したのが、キリ・テ・カナワである。役柄はいうまでもなく伯爵夫人。ビロードのような美しい声は、伯爵夫人にふさわしい。フレーニの透明度が高い声との絡み合いは、耳にまことに快い。第3幕の二重唱「そよ風によせて」は、それこそ天上の響きである。ふくよかなカール・ベームの指揮も、これぞモーツァルト!(1976年収録)。『こうもり』のロザリンデのテ・カナワも、品格とおかしみが絶妙で、私の好きなLDである(1984年収録、指揮はドミンゴ)。
グルベローヴァは、なんといっても『魔笛』の夜の女王だろう。超絶技巧が要求されるコロラトゥーラのアリアを、いともたやすく、しかも凄みをきかせて歌い切った。声質はいささか硬質だが、それがコロラトゥーラのアリアとなると、不思議な深みを帯びる(1983年収録、指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュ)。あとひとつ挙げるとしたら、『リゴレット』のジルダか。夜の女王とはうって変わって、しとやかで心優しいジルダを、情感豊かに聴かせてくれる(1982年収録、指揮はリッカルド・シャイー)。
懐かしいLD時代の名盤は、現在そのほとんどをDVDで観ることができる。しかし私には、あの取り扱いにくく重たいLDは、オペラ入門時代の思い出とともにあり、捨てるには忍びない。あの時代に輝いた歌姫たちは、LDのなかにこそ存在する。そして、彼女たちを超える存在は、いまだ出現していないと思う。
2021年10月26日 j.mosa