香港の二組の夫婦が同じ日に、あるビルの隣り合う二部屋に引っ越してくる。かたや海外出張に多忙な夫を持つ妻、かたや残業を繰り返す妻を持つ夫。一方の妻ともう一方の夫が狭い廊下と階段ですれ違うこともままある。そのうち、ふとしたきっかけから、互いの伴侶が抜き差しならぬ関係にあることが知れる。裏切られた失望と寂しさを共有する二人は次第に心の距離を詰めてゆく。けれども、女は最後の一線を越えようとせず、男にはその防御線を打ち破るだけの強引さが、ない。かくして、互いに後ろ髪をひかれつつ、二人は別々の人生を歩むことになる。

『花様年華』(ウォン・カーウァイ、2000年)はこのように実に平凡なラブストーリーだが、男女関係のありきたりでない心の機微を「映像+音楽」の絶妙のコンビネーションが見事に語る。白眉と思われる3つのシーンとそこで流れる音楽を紹介しよう。

シーン1。
チャイナドレスに身を固めた彼女が夕食を買いに階下の屋台へと歩む姿。スローモーション映像に合わせて、ゆるやかな三拍子でヴァイオリンが歌いだす(これがテーマ音楽)。屋台での横顔。人生はつまらない、と言いたそうなその表情。
買い物を終えて階段を上って、〝しばしの時間〟のあと、入れ違いに今度は彼のほうが階段を降り始め、同じ屋台へと向かう。

〝しばしの時間〟と強調したのは、このときに映し出される背景の壁、古ぼけた新聞広告の貼られた薄汚い壁がただならぬ存在感を感じさせるからである。時の移ろいを語るのだろうか。

シーン2。
レストランのボックス席で食事する二人。料理の注文に際して彼女は「あなたの奥さんの好きな食べ物を」と言い、彼は「ご主人の好みの食べ物を」と応じる。注文したのはどちらも同じビーフステーキだ。彼はマスタードを彼女の皿だけに盛り付ける。「奥さんの好みね」と彼女は得心し、肉片をマスタードに押し付けるのだが、そのときのフォークの先の肉片の〝一瞬の揺らめき〟と、次に何かを思い切るようにグチャっと押し潰すようなしぐさ。

この時に流れるのはナットキングコールの甘い歌声だ(スペイン語の題名は「テ・キエロ・ドゥイステ」)。ナットキングコールはもう一度後半で、かの有名な「キサス・キサス・キサス」を歌う。見事というほかない映像と音楽のカップリングである。

シーン3。
彼女の誕生日。海外出張中の夫がリクエストした中国語の「花様的年華」がラジオから流れる。「深く愛しあう二人、満ち足りた家庭…愛する故郷よ、もう一度…」という女性歌手のスローな歌声が聞こえてくる。壁を隔て、共に壁に体を寄せながら、彼と彼女は同じ曲に耳を傾ける。

この壁はついに壊れなかった。彼女を忘れるべく、彼は異国の地カンボジアに赴く。そしてアンコールワットの壁穴に何事か囁くのが、ほぼ最後のシーンである。結末近くには謎めいた場面がいくつかあって、それがまた男女間の得体のしれない内面を巧妙に語る。

2000年 香港映画
監督 ウォン・カーウァイ
撮影 クリストファー・ドイル、リー・ピンビン
音楽 マイケル・ガラッソ、梅林茂

むさしまる