『台湾原住民文学選』。10年ほど前、市立図書館の一角にこのシリーズを目にした。各巻300ページ強で全9巻。堂々たる規模で、日本の出版文化の厚みに思わず畏敬の念すら覚えた。5年がかりでこの先週を完成させたのは草風館という出版社で、調べてみるとアイヌ、韓国関連書籍が多い。腑に落ちる。

じつは第一巻の冒頭で3度読書を挫折している。そこに記された詩句を味わうだけの余裕がなかった。四度目の正直だが、あきらめなくてよかった。歴史書などからでは到底得られそうにない台湾原住民やその関係者の息吹を感じることができたからである。今回は、『故郷に生きる』と題された第2巻に登場する女性作家リカラッ・アウーの体験記を紹介しよう。

リカラッの母親はアミ族の一員として育った。結婚適齢期となった1950年代、「結婚仲買人」(原住民女性を中国本土からやってきた中国兵に紹介斡旋する)の手を通して中国人兵隊と結婚。形は結婚だが、実質的には売られたのである。山地人と呼ばれ蔑まれた台湾原住民はおしなべて貧しく、単身でやってきた中国兵との縁談はありふれていた。

リカラッの父親は中国の安徽省で少年兵となり、国共内戦後に台湾へやってきた。偉丈夫で口数が少なかったという。DVがあったわけではなさそうだが、アミ語を母語とする母とおそらく中国語の徽州方言を母語とする父とでは、そもそもの意思の疎通がむずかしかったろう。まして寡黙な父である。

「二十何年もいっしょに暮らしてきたけれど、お父さんがいったい何を思っていたのか、わたしにはやはりわからない」と母は述懐する。しかし、父にも父の事情がある。「夕刻のひととき少量のコウリャン酒を吞みながら、(娘のリカラッに)故郷の思い出を聞かせる」のが関の山か。父の懐中には、故郷に残してきた若妻の写ったボロボロの写真が忍ばせてあるらしい。

その父が、毎年、中秋節(旧暦8月15日)に同じ軍人村の同僚たちと月を拝む。実際は、「中秋の夜につかまって連れて行かれ、その死因もわからない昔の戦友たち」の冥福を祈っていたのだ。同じ日に国民党政権によって父も捕らえられ、中国共産党のスパイ容疑で死刑宣告を受け袋詰めされたが、辛くも助かった。リカラッがやっとこの歴史を知ったのは、高校卒業間近のある事件がきっかけだった。

この辺の時代背景は、ホウ・シャオシェンの『悲情城市』でも、タン・レンの『スーパー・シチズン(超級大国民)』でも見事に描かれている。けれども、両作に登場しない台湾原住民と中国兵たちが生きた苦難の50年代を味わうにはこうした著作しかない「あの時代を生きたいと思うような人間はいない…」という父の告白はやはり重い。

むさしまる