祖母と二人暮らしの祐一(妻夫木聡)、妹と二人暮らしの光代(深津絵里)、この孤独な男女が出会い系サイトで知り合う。祐一は初デートからいきなり光代をホテルに誘う。コトが終わって光代にお金を差し出す、ほかの女にもしてきたように。ところが光代は駅での別れしなに、金を返す、「わたし、本気やったと」の言葉をそえて。愕然として運転する車のハンドルに額を乱打する祐一。光代のほうは降りた駅の駐輪場でひとり嗚咽する。

じつは、祐一もまた「本気で」メイルを出していた。となれば二人の心が寄り添うのは時間の問題だ。光代の職場に姿を現し「本気」を伝えたあと、海辺のレストランへ。ここで、驚愕の事実が明かされる。つい先日、祐一は出会い系で知り合った娘からコケにされ、逆上のあげく殺害に至ったと。自首しようとする祐一を光代は土壇場で引き留め、二人は岬の無人灯台へと終わりの見えている逃避行を決行する…

映画『悪人』(2010年、監督李相日)はこんな風に展開する。宣伝用ポスターには「誰がほんとうの“悪人”なのか?」とあるが、騙される人は少ないはず。候補者は何人か(マスコミのレポーターを含めれば何人も)いるが、どれも「悪人」のレッテルに値しない小悪党ばかり。被害者の娘を車から蹴りだし夜の山中に置き去りにした老舗旅館の御曹司は、その娘の父親に「お前のせいでヨシノは死んだんだぞ、あやまれ!」となじられるけれども、彼だって浮薄なエゴイトに過ぎない。やはり「悪人」に値するのは祐一ひとりなのだ。

ただ、父親のこの非難が殺人犯祐一の罪を軽減する効果を持つことは否めない。お前が置き去りにさえしなければ、祐一が間違いを犯すことも… というわけだ。そうなると、祐一が真に「悪人」にふさわしい資質を有しているのか否かが問題になりそうだ。両親は離婚し祖母に育てられた境遇、寡黙でコミュニケーションが不得手な性格(生来のものではないかもしれない)、思い込みの強さとの怒りやすさを見せる一方で、敏感な感受性と優しさも併せ持つ。

光代はこの後者の祐一にほだされ、束の間の二人だけの逃避行を試みる。ところが、警察に捕まる直前に予想外の暴挙にでる。あの山中の殺人と同じように、光代の首を絞めて殺そうとするのだ。この期に及んでなぜ? この行為をどう解釈するか、彼女の心は揺れる。揺れたあげく、最後は判断を他人に委ねる形になる。それが、映画の最後のシーンである。世論の代弁者たるタクシー・ダライバーの判決「世の中にヒドか男がおるもんやね。若か娘さん締め殺して…」に答えて、光代は自分に言い聞かせようとするかのごとく、こうつぶやく。

「そうですよね、世間でいわれる通りですよね、あの人は悪人なんですよね、人を殺したとですもんね…」

殺人犯祐一の最後の暴挙は、出所を待つという光代を思いとどまらせるための、せめてもの罪滅ぼしだったのかもしれない。ともあれ、「悪人なんですよね」とつぶやくときの深津の表情はこの映画の白眉!

むさしまる