今年も新宿に「台湾映画祭」がやってきた。

去年は、午前10時開始の侯孝賢の「戀々風塵」を眠い目をこすりながら観たっけ。観客も15人程度だった。ところが今年はどうだ、回数券まで買って勇んで出かけた初回は、満員御礼で入場不可! その腹いせに(というほどではないのだが)、予定になかった映画「藍色夏恋」に足を運んだ。

災い転じて福となすとはこのことだろうか、予想をはるかに上回る映画の出来映えだった。原題は「藍色大門」で、藍色は中国語で青色のこと。つまりは青春の門というわけだ。主演女優はグイ・ルンメイ、主演男優はチェン・ボーリン、どちらも監督(イー・ツーイェン)が街頭でスカウトした新人だという。二人の初々しさもひとつの見どころである。そういえば、上記「戀々風塵」の主人公二人も街で抜擢された若者だった(その後まもなく二人とも映画界を去っているが)。

忘れられないシーンはいくつかあるが、その印象を少しでも納得してもらうには、舞台背景を少し知らなくてはなるまい。

女子高校生のモンとリンは親友。リンは同学年のチャンに惚れていながら告白できないため、親友のモンに橋渡し役を依頼する。ところがチャンは誤解する、橋渡し役は口実で本当はモンが自分を好きなのだと。そして、次第にモンに惹かれてゆく。チャンはモンに告白する。しかしモンの答えはノーだ。「わたしは男に興味ない、同性のリンが好きなの…」

さて、脳裏にこびりついたシーンをひとつふたつ。ひとつは、モンとリンが踊る場面。リンが大好きなチャンの顔の似顔絵を描き、それをお面にしてモンが被り、リンと手を組みゆっくりと踊る。モンの演じるチャンがリンのうなじ近くにしだれかかる、いつか、そのお面の男が自分に恋するとも知らずに… お面の下の素顔のモンはどんな表情をして踊っているのだろうか? 繰り返すが、モンはリンに対して友達として以上の、ちょっと危うい情愛を抱いている。青春期にある同性間、異性間の微妙な色合いの感情描写がこの映画の出色だ。

もうひとつのシーンは、一部パンフレットに映っている。台北と思われる都市の街路樹の下を自転車で走る姿だが、但し書きがいる。グイ・ルンメイ演じるモンが笑顔を浮かべるのはこの前後だけで、それ以外は映画中の彼女の表情は一貫して硬い。苛立ったような頑なさで男子から防御壁を張っているように見える。浜辺でエイトビートの音楽に合わせて体をゆするシーンでいくらか表情を緩めることはあっても、笑うことは皆無だ。おそらく、映画全編はこの笑顔にいたるための序奏である。

破顔一笑となったのはなぜか。その答えは、直前のチェンのセリフにあるらしい。男は好きでない、というモンに対して彼はいう。「いつか男を好きになってもいいと思ったときは、一年後でも三年後でもいいから、オレに最初に連絡してくれ」 自分の感情に最大限の敬意を払ってくれる人間がいることの安心感、この安らぎこそが彼女の呪縛を解いたのではなかったか…

ここで、モンの笑顔を支える背景の美しさを言い添えておかなければならない。都会の街路樹の下を疾駆する男と女の自転車、と書けば、なんとはなしに映像的な想像が働くと思う。けれども牧歌的な美しさとは少し違う。二人の自転車の脇にはほかの高校生の自転車やら、バイクにまたがった兄チャンやら、タクシーやら路線バスやらが、これぞ雑踏といわんばかりにひしめいている。何とかまびすしい美しさか! ただし、流れる音は単旋律のピアノとモンのモノローグでむしろひそやか。

「台湾青春映画史に燦然と輝く…」とのキャッチコピーは誇張じゃない。

むさしまる