「事件」となった上映会——70mm版『2001年宇宙の旅』

10月13日、京橋の国立映画アーカイブ(旧東京国立近代美術館フィルムセンター)に着いたのは朝7時過ぎ。ところが、館前にはすでに長蛇の列。なんと147番目だった。当日券の枚数は各回100枚(前売りが200枚)で、11時からの初回の上映会には入場することはできない。『2001年宇宙の旅』の70mm版上映の人気が高いとは聞いていたが、これほどとは!

今年はこの映画が制作されてから50年。それを記念して、オリジナルのネガからポジをつくり、世界各国での上映が実現している。デジタル処理は一切していないというから、当時のままの映像を観ることができる。この情報を耳にして、チケットぴあで前売り券を買おうと思った。

前売り券は9月1日の12時からの発売だったのだが、あっという間にすべての回(延べ12回)が売り切れてしまった。私も買えなかった。どうやら転売サイトが買い占めてしまったらしい。1枚2500円のチケットだが、オークションでは1万円を超えるものも出たという。悪質なサイトは締め出してもらいたいものだ。

3時間並んで、やっと10時に、15時開映の整理券をゲットした。近くのシネスイッチ銀座で『日日是好日』を観て時間をつぶす(失礼!)。日本の自然のなかにゆったりと樹木希林さんがいて、心地よい映画ではあった。初日だったからか、出口にはぴあの調査員がいて、映画の感想を聞き出している。65点と答える。

国立映画アーカイブのスクリーンは、大型映画館の標準的な大きさだろう。それが、手前にかなり湾曲している。70mm版の特色である。グラデーションの美しさや奥行きの深さが感じられるのは、アナログの強みではないか。音は多少の歪みがあるものの、大迫力。1968年当時のテアトル東京のスクリーンは、国立映画アーカイブのそれよりもさらに4倍の大きさだったというから、想像を絶する。

さて、北海道から観にきた人もあったという異常人気の70mm版『2001年宇宙の旅』。テレビ画面でしか観たことのない私にとって、これは事件といっていいほどの上映だった。400万年前の猿が空中に放り投げた一片の骨。暗転して、それが宇宙船に変換される。音楽は、『ツァラトゥストラかく語りき』から『美しく青きドナウ』へ。映像と音楽が、これほど見事にシンクロした映画を私は他に知らない。大画面に大音量。開始時点ですでに、私は満足の極みにあった。

50年前にはCGはまだ実用化していない。にもかかわらず、どうしてあのようなリアルな宇宙空間をつくり出せたのだろう。2013年のアカデミー賞監督賞をとった『ゼロ・グラビティ』は、宇宙描写の迫真性で専門家を驚かせた。『2001年宇宙の旅』は、それにけっして引けをとらない。不気味な漆黒の宇宙空間。その果てしない空間に吸い込まれる宇宙飛行士。また、飛行士が宇宙船のなかでジョギングするシーン。無重力のなかを螺旋状に走って、なるほどと、納得させられるが、どうして撮影したのだろうかと、これも不思議でならない。

革新性は映像に止まらない。コンピュータの声紋認識、チェスとの対戦、人間との会話など、AIの進歩した現在でこそ珍しくはないシーンだが、これは50年前の映画である。キューブリックと、共同脚本のアーサー・C・クラークの先見性には驚くほかはない。AIの錯乱まで予言しているのだ。赤い目玉のようなコンピュータ、HALの不気味さは、私たちの未来に対する警告でもある。それにしても、あの目玉は怖い。

黒い、大きな、壁のような物体——モノリス。人類の誕生期400万年前に地球に存在し、2001年の月にも存在する。地球外生命の実在を暗示する物体だが、一体モノリスとは何か。木星への飛行中に事故に遭遇した宇宙船の船長、ボーマンはその後どうなったのか。めくるめく色彩の最終シーンをどう解釈するか。難解度は増すばかりだが、最新の物理学、超弦理論で解釈はできないのだろうか、と、理数系にうとい私は勝手に想像する。

『2001年宇宙の旅』は、私にとって、SF映画中ダントツの1位である。さらに、すべての映画のなかでも、5本の指に数えられるのではないか、と改めて思った。

2018年10月13日 於いて国立映画アーカイブ

1968年アメリカ映画
監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース、ジョン・オルコット
出演:キア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター、ダグラス・レイン

2018年10月21日 j.mosa